テレビ局といってもキー局やNHKを除けば、番組制作にかけられる予算はそれほど多くはない。その中でどうやって視聴者を惹きつける番組を作るのか。東京12チャンネルとTOKYO MXのともに1期生である田原総一朗氏と大川貴史氏(TOKYO MX 制作局長)は、その課題に取り組んだ経験を持つ。金をかけずに面白いコンテンツを生み出してきた経験則を2人が披露する。(構成:阿部 崇、撮影:NOJYO<高木俊幸写真事務所>)
マスコミ志望ではないのにテレビ局入社
田原総一朗氏(以下、田原) 大川さんはTOKYO MX(東京メトロポリタンテレビジョン)に第1期生として入社されていますが、MXを選んだ理由はなんだったんですか。
大川貴史氏(以下、大川) 僕はずっと野球をやってきまして、立教大学でも体育会の野球部だったんです。当時はまだ体育会出身者なら就職には困らない時代だったんですが、僕だけ全然就職先が決まらなかったんですね。そんな中、一部上場のバイオ企業だけが内定をくれたんです。
田原 最初からMXだったわけじゃないんだ。
大川 ええ。目をかけてくれていた先輩の引きでその企業に採用してもらえることになったんですが、大学4年生の9月ごろに開かれた内定式に参加したところ、がんの特効薬の化学式みたいなものをたくさん見せられて・・・。つまり、医者を相手とする医薬品の営業マン、いわゆるMRとしての採用だったわけです。
だけど僕、化学とか数学とか大の苦手でして。それで「これはちょっと自分には無理だな」と思って辞退させてもらったんですね。
そこから改めて就職活動を再開させたわけですけど、もう主な企業の採用活動は終わっている時期です。だけど、たまたま翌年開局する新しいローカルテレビ局が社員を募集していた。それが偶然TOKYO MXだった、という経緯です。
田原 マスコミ志望だったわけでもないんですね。
大川 そうなんです。
田原 僕なんかはね、初めからマスコミに入りたいと思って、各社受けたんです。朝日、NHK、TBS、東京新聞、それから北海道放送、ラジオ日本とかも受けたかな。だけど全部落ちて、それで岩波映画に入ったんです。
ところで、大川さんは1995年にTOKYO MXに入った時、最初は営業だったそうですね。
大川 はい、そうです。マスコミの世界のことを何も知らずに入社して、営業の担当になったわけですが、テレビ局の営業が何をするところなのかも全然分からなくて・・・。なんかすごい威張ってる人がいたので、上司に「なんなんすか、アイツ」って聞いたら、「あの人は大手広告代理店の人だから、頭下げなきゃだめだ」って言われたんですが、当時の僕は電通も博報堂も知りませんでした。だから「広告代理店ってなんスか?」みたいな感じで、本当に世間知らずでした。