田原 出来立ての会社だし、ましてやローカル局でしょう。やっぱり営業は苦労されました?

大川 ローカル局ってどこもそうらしいんですが、基本的に営業に力を入れていかないと会社の存続が難しいんですね。

 その上、出来立てのMXは出資者間の主導権争いが激しくて、体制がコロコロ変わるんです。そこで、僕、もともと大した仕事をしてなかったんですが、新しく来た上司にすごく嫌われて、閑職の区役所担当をさせられることになりました。

田原 そうか。MXは東京ローカルだから区役所の担当者もいるわけね。

田原総一朗:東京12チャンネル(現テレビ東京)を経てジャーナリストに。『朝まで生テレビ』(テレビ朝日)、『激論!クロスファイア』(BS朝日)などに出演する傍ら、活字媒体での連載も多数。近著に『AIで私の仕事はなくなりますか?』 (講談社+α新書) など。

大川 これは区の広報予算をもらってくるような仕事なんですが、区の予算って区議会で決まるわけですね。だから別に毎日区役所に顔を出したからって売り上げが上がるわけでもなく、月に1回請求書を持って行くのが新人の僕の仕事でした。それで僕、すっかり腐っちゃったんですよね。

田原 仕事が面白くないから?

大川 ええ。それにそれまで野球部の寮暮らしで、当時のことですから、そこで先輩からのかわいがりなんて珍しくない世界に首までどっぷり浸かっていたわけです。それが、テレビ局の社員になったとたん、殴られもしないし、蹴られもしなくなった。

田原 これじゃあ張り合いがない、と。

大川 そう。そうなんですよ。「これじゃあ生きてる気がしないな」って思っちゃって。すっかり仕事を投げてしまった。

 でも、あんまり何もしなかったので、当たり前ですけど上司に叱られました。外勤だとサボってばかりいたので、「お前、何なんだ。何もしないでいいから座ってろ」って言われて、内勤のCM運行部っていう部署に回されたんです。

田原 まだ番組制作じゃないんだ。

大川 はい。で異動になったわけですが、当時は基本的に全然CMが入ってないので、CM運行の仕事も1日5分ぐらいで終わっちゃうんですよ。それでも上司には「やることがなくてもずっと座ってろ」って言われました。だけどとても座っていられず、トイレに行くふりをして、ずーっと戻ってこなかったり。もう完全なお荷物社員状態です。

 で、そこでもなじめず、次に異動したのがスポーツ部でした。スポーツ部に行ったら、元日本テレビの細野邦彦さんっていう方が常務として仕切っていました。

 その細野さんが、スポーツ番組の中継は制作会社に外注するばかりで仕事を覚えないぞ、ということで、制作に引っ張ってくれたんです。

MXはなぜ倒産しないのか

田原 そうですか、細野邦彦さんがね。彼のことはよく知ってます。『裏番組をぶっとばせ!』とか『ウィークエンダー』みたいな刺激の強い番組をたくさん手掛けた方ですよね。

大川 ええ。

 それで制作っていうのは、みんなでやる仕事ですよね。僕は子どもの頃から野球ばっかりやってたので、チームで作業するほうが慣れていたんです。それが、たまたま性に合っていたんです。

田原 それでいくつくらいのとき?

大川 28歳のとき、入社して6年目くらいでした。それから都知事だった石原慎太郎さんがホスト役を務めていた『東京の窓から』っていう番組のADをやったりしていました。

田原 MXは東京都も大株主だから、東京都がらみの番組も多いですよね。僕もその慎太郎さんの番組に出ましたよ。

大川 僕は28歳で一番年下だったんですけど、幾つかしかない番組の全てで掛け持ちのADをやっていました。

大川貴史:東京メトロポリタンテレビジョン(TOKYO MX)制作局長。立教大学卒業後、TOKYO MXに1期生として入社。営業部、CM運行部、スポーツ部での勤務を経て、制作局へ。そこで立ち上げた『5時に夢中!』を局の看板番組に育て上げ、マツコ・デラックスらのスターを数多く輩出。著書に『視聴率ゼロ! 弱小テレビ局の帯番組「5時に夢中!」の過激で自由な挑戦』がある。

 それから1年ぐらいしたら、また会社で“政変”があって、今度は僕の先輩がみんないなくなっちゃったんです。そうしたら上層部から、「おまえが一番年上だからプロデューサーをやれ」って言われちゃったんです。29歳で、キャリアも全然ないのに、です。そこから見よう見まねで番組を作り、今に至るって感じです。

田原 だけど、スポンサーがなかなか付かないのによくやってきましたね、MXは。

大川 いや、今もそうですけど、全然やっていけてないんですよね。

田原 僕は、岩波映画から東京12チャンネルに転職して、1年くらいで倒産の危機を体験しましたけど、なんでMXはなぜ倒産しないんですか。

大川 正直に言うと、MXは自社制作番組以外での広告出稿に支えられています。そのお金で帯の生放送や自社制作番組をやっているという経営スタイルですね。

「5時に夢中!」は「五里霧中」?

田原 なるほど、そういう工夫をしているわけね。

 で、テレビマンとしての大川さんの名を知らしめることになる『5時に夢中!』は、いつ始まるんですか。

大川 今から14年前、2005年4月のスタートです。

 この夕方5時からの時間帯は、それまで中高生向けの生番組をやっていたんです。というのも、当時の上層部の方が、夕方の生番組っていうことで、かつてフジテレビでやっていた『夕やけニャンニャン』をイメージした番組作りをしていたんですね。

田原 素人みたいな女の子がたくさん出ていた番組ですね。

大川 ええ。それを真似たような中高生向けの番組をやっていたんです。ただ人気のあるタレントさんには出てもらえない。そこで、当時はタダで借りられたプロモーションビデオを流すような番組でした。これなら人気アイドルの映像も流せる。だから、ラジオのリクエスト番組と同じようなフォーマットの番組です。しかしこれが鳴かず飛ばずで・・・。

田原 なるほど。

大川 ローコストで作っていたこの番組も会社が赤字になりそうになったので、会社として「もう夕方の帯番組を閉じよう」ということが決まったんです。だから出演者や関係者の方たちに、「会社が赤字になりそうなので、番組自体を閉じることになってしまいました」と謝りに行ったりしていたんですね。

 ところがそうやって皆さんに降板してもらう了承を得た後、会社から急遽、「来年ちょっと黒字になりそうになったから、やっぱり夕方の帯番組をやろう」っていう話が出てきた。そこで始めたのが『5時に夢中!』なんです。

田原 急に決まったわけだ。

大川 そうなんです。もう急に「なんかやれ」って言われたわけだから困ってしまいました。放送開始まであと2週間という時期になにも決まっていませんでしたから。それで、「どうしよう。五里霧中だよ」って他のスタッフにぼやいたりしていたんですが、そこから五里霧中をもじって『5時に夢中!』が番組タイトルになりました。

田原 僕も最初に出演依頼が来た時、てっきり「五里霧中」っていう番組なのかと思いました(笑)。

大川 やっぱりそう聞こえてしまいましたか(笑)。

 ただこのドタバタで一つだけよかったのは、それまで出演してくださっていた方の中には、いろんなしがらみからお願いしていた人もいたんですが、その関係をここで全部切ることができたことでした。

田原 しがらみがなくなった?

大川 そうなんですよ。お付き合いのある企業から紹介された人だとか、お金を出してくれた人だとかを出していたんで。

田原 ちょっと待って。「お金を出してくれた人を出す」ってどういう意味? ギャラ払うんじゃなくて、MXに金をくれるわけ?

大川 例えば、当時はすごい力を持っていたレコード会社さんが、タレントをプロモーションするために、「制作協力費」みたいな名目でお金を支払ってくれていました。

田原 それでレコード会社がプッシュするタレントを出していた?

大川 そうです、そうです。

田原 なるほど、そういう仕組みもあるわけね。

お色気ネタにも抵抗がない30代主婦に客層を絞る

大川 他のローカル局もそうかも知れませんが、テレビの裏側にはそういう実態もあります。

 で、そういうタレントさんを使っていたわけですが、結局スポンサーでもあるわけですから、こちらの言うことをなんでも聞いてくれる、というわけじゃないですよね。

田原 そりゃそうだ。

大川 それで結局、番組の体を成さなかったんですね。それが当時の悩みでした。

 ところがその番組自体がなくなるということで、そういう出演者の人にはみなさん降りていただくことになった。

田原 じゃあ、しがらみから逃れて、自由に番組を作れるようになったわけですね。そのとき、『5時に夢中!』は、どういう番組にしようと思ったんですか。

大川 それまで1980年代のフジテレビを真似て中高生向けの番組をやっていたわけですけども、もう視聴者の生活スタイルが『夕ニャン』の頃と違うんですね。在宅率を調べてみると、夕方5時ごろに家にいるのは若い主婦が多いということが分かったんです。当時、僕も30代前半ですから、要するに自分と同い年ぐらいの、子育て中の主婦が家にいる確率が高いだろうという見当をつけたわけです。

田原 30代くらいの女性を狙おうと。

大川 まあ勝手な想定なんですけど。

 で、同世代の主婦なので、自分たちのことを振り返ってみたんです。団塊ジュニアの僕らが子どもの頃って、ちょっと日本が裕福になっていましたけど、テレビは各部屋に1台、というほどではなかった。テレビは居間で家族と一緒に見て、自分の部屋ではみんなラジオを聞いていた世代なんですね。特に深夜ラジオを。

田原 世代的にね。

大川 ええ。その深夜ラジオって、お色気的な内容も多くて、そういうものには僕ら世代は慣れていた。だから、同世代の主婦向けに、女性向け深夜ラジオみたいな、エロトークありの番組が出来ないかと考えたんです。

田原 夕方の時間帯に色っぽい番組をぶつけてみようと。それがウケたわけだ。

大川 そうですね。だから祝日にぶつかると、旦那さんとかお子さんが家にいるので、なかなか見てもらえない。すごく数字が下がる。旦那さんやお子さんとは一緒に見づらい番組なんです(笑)。