しかし、京大生の平均的学力レベルは、東大生と比べると、一部のスーパー勉学者を除けば、惨憺たる有様だと思う(少なくとも筆者が在籍した当時は)。東大では、2年生から3年生になるときに進学振り分けが行われるため、多くの学生が入学してからもかなり勉学に励まなくてはならないと聞く。したがって、東大生の平均学力レベルは、京大生よりはるかに高いと思われる。

学科という境界がない理学部

 筆者は2回生から3回生になるときに転部試験を受けて、農学部から理学部数学科へ転部した。ここでも驚くべき体験をした。

 まず、理学部内の学科の移動は自由である。というより、学科という概念がない。境界領域や複合領域を研究するための仕組みかもしれない。学科の壁がないから、卒業するときには教務課から「あなたは何を学んだのですか?」と聞かれる。「物理学かな?」と答えると、卒業証書には「主として物理学を学んだ者」と記載される。

 理学部の数学は芸術のようで自分には合わないと感じた筆者は、すぐに素粒子・原子核物理へ鞍替えした。そして素粒子論の講義で次のように言われたことにさらに衝撃を受けた。

「大学というのは天才が1人いれば10年持つ。しかし、どう見ても君らは天才ではない。だから、とっとと卒業して出て行ってくれ。優が欲しければ試験用紙に『優をくれ』と書け。お望みの成績をあげますよ。だから留年しないで卒業してもらいたい」

 理学部の先生たちがこのように言うのにも訳があった。京大(特に理学部)は留年率が高く、8回生まで居残る者も多かった。1学年約300人に対して、理学部物理学の修士課程の枠は当時26人しかなく、“大学院浪人“がどんどん溜まっていくからだ。

 結局のところ、京大の特徴は、「ほとんど拘束がなく自由」「学科間の移動も自由」「徹底的な少数精鋭主義」にあるといえる。

 圧倒的な自由な環境の中で、才能があるものが、自力で能力を伸ばし、その結果としてノーベル賞級の研究者が誕生する。その頻度が(結果として)だいたい10年に1人になるのではないか──と筆者は考えている。