柳沢正史(やなぎさわ・まさし)氏。1960年東京生まれ。筑波大学医学専門学群・大学院医学研究科博士課程修了。31歳で渡米し、テキサス大学サウスウェスタン医学センター教授とハワードヒューズ医学研究所研究員を2014年まで24年にわたって併任。2010年に内閣府最先端研究開発支援プログラム(FIRST)に採択されたことを受けて、母校である筑波大学に研究室を開設。2012年より文部科学省世界トップレベル研究拠点プログラム 国際統合睡眠医科学研究機構(WPI-IIIS)機構長・教授、現在に至る。

柳沢正史氏(以下敬称略) 睡眠の基礎科学には、2つの大きな問いがあります。

 1つは、「睡眠の機能」。なぜ、脳を持つ動物は眠らなければならないのかということです。個体が意識を失い、外界刺激からも鈍くなるわけで、どう見ても生存上不利に見える行動ですが、ほ乳類だけでなく、昆虫や線虫も含め、中枢神経系と呼べるものを持った動物はすべて眠るとされています。

 これに対しては、いろいろな説があります。いま一番取り沙汰されているのは、覚醒中は感覚系から膨大な量の情報が脳に流れ込んでくるわけですが、その情報の整理をするために脳の活動をオフラインにするというものです。コンピューターにたとえると、オフラインでのデフラグとかメンテナンスに相当する考え方です。

 眠ると記憶がきちんと定着するという現象は、よく知られています。問題は、なぜその役目を担うのが睡眠なのか、なぜ意識を失ってまでやらなければいけないのか、その説明が付かないのです。

 もう1つは、「睡眠の制御」のメカニズムです。特に重要なのが、「なぜ眠らないと眠くなるのか」ということです。長い間起きているとだんだん眠くなりますが、その眠気を取るためには眠るしかありません。そして、眠っている間にその睡眠要求が消えていきます。非常に単純なフィードバックループになっています。我々の脳は近過去の覚醒量を常にモニターしていて、その累積値によってその時点での睡眠要求が決まっていくというシステムです。

 ただ、その覚醒量の累積値をどうやって測っているのか、その積分器がどう実装されているのか、現在はまったく答えることができません。脳の中にあるのは間違いないのですが、脳のある部分に局在するのか、もっと広範囲に分布するのかすら分かっていません。

――オレキシンの作用機構を調べていけば、謎は解けるのでしょうか。

柳沢 ナルコレプシーの患者さんは、日中でも突然眠ってしまいますが、24時間の総睡眠量は変わらないのです。オレキシンの欠乏で覚醒と睡眠の切り替えが不安定になっていますが、上で述べたフィードバック、すなわち1日の睡眠量を決めるシステムには異常がありません。

 たとえるならば、オレキシンというスイッチの存在は分かったけど、問題はそのスイッチを押す指が分からないということです。これは2つの違った問題なのです。

 時間的に見ても、スイッチの切り替えは数秒から十秒くらいの現象です。一方で睡眠ニーズが蓄積していくプロセスは、数時間から十数時間、慢性的な睡眠不足まで考えると数日のオーダーです。タイムスケールが全然違います。スイッチをいつ動かすかという、より上位の問題が解けていないのです。