アリは道しるべフェロモンを残しながらエサを探す。そしてエサを見つけると、道しるべをたどりながら巣に戻る。そもそもエサを探すときはあっちをウロウロ、こっちをウロウロしているからジグザグしている。

 エサまでの道のりをもっと直線的にすればもっと近道できるのだが、そもそもエサがどこにあるかなんて最初は見当がつかないんだから、ジグザグするのも仕方ない。仲間は道しるべをたどり、遠回りしながらエサ場までたどりつくことになる。それでも、確実にエサにたどり着けるということはありがたい。

仮説は置き換えられるもの

 科学でもビジネスの場でも立てられる「仮説」は、「とりあえずエサまでは確実にたどり着けるジグザグ道」のようなものだ。実に非効率なのだが、確実な結果が得られる。そうした「仮説」を暫定的真理として受け入れることで、当面やりくりする。それが科学や技術がなし得てきた成果だ。

 そのうち、「俺はそんな道をたどりたくない」という不真面目なアリが出現すると、道しるべをたびたび無視することで近道を見つけ、やがてエサまでほぼ直線の近道をたどれるようになる。とりあえず暫定的に仮説を受け入れておいて、少し不真面目に遊ぶことにより、さらに優れた仮説に乗り換えて洗練させていく。これが科学の営みだ。

 ビジネスにおいても、その点は同じはずだ。これまでのやり方でうまくいっていたかもしれないが、「不真面目なアリ」が別の道を見つけるように、ちょっと先輩の言うことをきちんと聞かないような「はぐれ社員」が別の方法を見出し、それがより優れているなら、そちらに乗り換える度量が組織に欲しい。

 それは先輩の成果がダメだったと証明するわけではない。最初にエサを見つけたアリはやはり偉い。しかし、はぐれアリが別のやり方を見つけるからこそ、近道も見つかる。アリのシステムをビジネスは見習うべきだろう。

 科学もビジネスも、仮説という暫定的真理に基づいて当面の業務を組み立てているが、それは後日、より優れた仮説に置き換えられるものだという宿命にあることを、私たちは弁えておく必要がある。絶対的真理という考え方に囚われると、それは科学でもビジネスでもなく「宗教」になってしまうのだから。