そんな頼りない親をかわいそうに思うのか、息子は近頃、「ぼくはこうおもう」と仮説を聞かせてくれる。それが面白くて楽しみにしている。息子の持てる知識は限られているが、限られた知識の中で立てられた仮説としてはなかなか筋が通っていて面白いなあ、と感心することがたびたびある。

科学とは「“暫定的”な真理」のこと

 なんでこんな子育て日記みたいなことを「働き方」を論ずる場で紹介したかというと、一応理由がある。科学は絶対的な真理だ、という思い込みがあるなら、それはいったん外した方がビジネスにおいても有益だろう、という提案をしたかったからだ。

 言うまでもなく、「夢の物質」と言われたものが後に評価を逆転させることがよくある。いくつか例を挙げてみよう。

 アスベストは燃えない夢の素材と言われていたが、中皮腫というガンの原因になると言われるようになった。

 ロボトミーという手術は精神障害者を大人しくする画期的な技術だとされてノーベル賞まで受賞したが、脳を破壊する乱暴な技術だとして今は反省されている。

 PCB(ポリ塩化ビフェニル)は腐らないし電気を通さないし燃えないしで夢の物質とされたが、生物濃縮して生態系を破壊するという厄介な現象が判明したりした。

 フロンは燃えない溶媒として非常に優れていると言われていたが、オゾン層を破壊するということで目をつけられるようになった──。

 科学というのは、「暫定的真理」、つまり「仮説」を見出す方法ではあっても、絶対的真理を確定することができるものではない。そのことを弁(わきま)えておく必要がある。

 かといって、「なんだ暫定的なものか、絶対的な真理でないのなら無意味だ」と否定するのは、少々慌てんぼさんだ。暫定的な真理(仮説)であっても、それなりに有効だからだ。