裕福ではなかった自身の幼少期と、社会からあぶれた彼らヤクザとを重ね合わせたこと、その反発心、エネルギーに惹かれたことを訥々と語る。もう1つの側面として、彼の背中を押したのは、当時山口組若頭であった宅見勝との個人的な付き合いだったという。山之内もまた暴排の流れに巻き込まれ、信念に従ったゆえに運命に翻弄された1人である。

 山之内はヤクザの顧問弁護士として、恐喝の疑いで一度起訴されるが無罪となった。しかし数年前に、面子を重んじる警察の報復かのように、微々たる罪、器物損壊教唆で再び起訴されている。

 映画ではその器物損壊教唆の裁判がリアルタイムで進行する。禁錮以上の実刑を受けると弁護士資格をはく奪されてしまう山之内が、失職をかけて国家権力である警察、検察の理不尽に対して、法廷で争う。その過程はもちろん、山之内側からしか描かれないが、ラストに至って、不信感は絶頂を迎えた。

「教唆」とはつまり、自分の手を染めずに他人が犯罪を行うようにそそのかすこと。山之内に対する器物損壊教唆は、不起訴が当たり前となるような言いがかりにも思える起訴内容だ。それもこれも警察が山之内を「ヤクザを弁護する悪徳弁護士」とみなしていることの証左である。

 結論を言ってしまうと、山之内は禁錮刑を受けたがゆえに弁護士バッジを置かざるを得なくなってしまった。私もこの結果には大いに疑問を持ち、前述したとおり警察権力を考えるいくつかの書物を読んでみた。なかでも印象深かったのが、北海道警察元警視長である原田宏二の著書『警察捜査の正体』だ。

警察捜査の正体』(原田宏二著、講談社現代新書)

『警察捜査の正体』(原田宏二著、講談社現代新書、840円、税別)

 著者の原田は、道警の裏金問題を告白したことで、世に存在を知られている。警察の裏の裏まで知り尽くした人物である。

 本書によると犯罪の認知件数は2002年をピークに、10万件単位で減少し続けている。一方で、凶悪犯罪やテロという大義名分のもとに、「警察国家」への道が強化されつつあるという。ふんふんと頷きながら、目をつけられれば自分が冤罪の被害者となり得るという事実に背筋がうすら寒くなった。

 全編を通じて警察権力に警鐘を鳴らしているので、興味がある方は読んでみていただきたい。任意で取り調べを受ける事態となったら、録音は必須だと学んだ。「警察が正義をよりどころにしてはいけない」という言葉には唸らされた。

 他に読んだものは、警察学校を舞台とした小説『教場』シリーズ(長岡弘樹著、小学館)。これは警察組織の意に沿うような忠実な人間の育てる様を、フィクションの面白さとともに描いている。

 もう1冊、偏らないために『元警察署長が教えるお巡りさんの上手な使い方』(石橋吾朗著、双葉社)という、市民の道具としての警察の使い方を推奨した本も合わせて読むと多角的に捉えられてよいだろう。