映画『ヤクザと憲法』を観てから、すれ違う人がヤクザではないかと、いちいち身構えている。いや、決して怯えているのとは違う。ぼーっと何も考えずに他人の横を通り過ぎていた自分に危機感を覚えて、すれ違う一人ひとりをよく観察するようになっただけだ。

 この映画に登場するヤクザたちは、街のなかに溶け込むように生活していた。組事務所の中にいる時でさえ、それとは分からないような佇まいで、一見すると碁会所の日向で過ごす近所のおっちゃんのようにも見えるのだが、ふとした瞬間に映される手のアップに小指がなかったりする。

 作中ではひと昔前のヤクザの映像も少しだけ映っていた。それら当時のヤクザたちは分かりやすくパンチパーマであった。なかでもオシャレな方の人は、紫の開襟シャツなんかをお召しになったりしていて、全身からヤクザという記号を発してくれていた。

 だが、暴力団対策法(暴対法)によってヤクザとして存在することのデメリットばかりが増え、中身はともかくとして、外見からは全くと言っていいほど、即ヤクザであるということは分からなくなったようだ。

 もしヤクザに対して、そうとは気づかずに失礼な態度を取ろうものなら、待ってましたと言わんばかりに豹変して、対象をボコボコにするほどの凶暴さは内に秘めているだろう。

 映画の中でも、お墓周りの草刈りを行って汗をかいたのか、長袖Tシャツを着替え始めた背に彫り物がしてあったし、亀田父似のヤクザは扉一枚隔てた向こうで、若い衆に暴力を振るう音をマイクに拾われていたりした。

 スクリーンのこちら側ではあくまで観客として、足を組みながら貧乏ゆすりをするといったくだけた態度で、言いたいことを言い、おかしいと思ったことに文句も言えるが、それはやはりフェアではないと感じてしまった私は、テリトリーを狭められてはいても牙までは抜かれていない彼らに対して、想像力という唯一の武器でもって戦いを挑もうと思った。

 実際にヤクザの事務所に行ったり、人を介して会ってみたりということも可能は可能なわけだが、この映画の製作元である東海テレビさんのお株を奪ってしまったらいけないので、断腸の思いで自重した次第である。

 加えて武器であると思い込んでいた想像力も、類まれなる貧弱さを早々に発揮したため、戦いを次のステージへと移行せざるを得なかったことを、ここに報告しておく。

 すなわち次のステージとは、本を読むことでヤクザに対する知識の蓄積を図り、その弱点を見つけ出そうという孤独な営みであり、端的に言えばいつもの本紹介であるとも言える。

「ヤクザだから」というだけで

 この実録映画「ヤクザと憲法」の主役ともいえる清勇会二代目組長・川口秀和は、60代には見えない若々しさで少なからず驚いた。映画の中で彼は、ある事件によって22年もの長期間にわたり服役していたと語られる。