セーフティーネットが効かなくなっている。日本国憲法の第25条は、生存権の根拠となる条文だが「健康で文化的な最低限度の生活」が、営めなくなっている家庭が増えているのではないか。
特に「おや!?」と感じるのは、アルバイトの面接をするときだ。書店は他の小売に比べて利益率が低い。これは仕入れ商品を返品できるからだ。
売上が減ると、低い利益率を圧迫する人件費をできるだけ抑えようとするわけだが、長びく出版不況によってその状況に拍車がかかっている。
当店も例外ではない。以前は、各都道府県が定める最低賃金よりは少し上の水準でアルバイトの募集をかけていた。だが、何年か前に最低賃金に追いつかれ肩を並べた。
低い時給が嫌われたためか、現在はアルバイトがなかなか集まらず、人材の確保に四苦八苦している。そんな中、気づいたことがある。
少ない面接希望者の中に昔と比べて父子家庭、母子家庭の割合が増えたことだ。比例して、履歴書には定時制や単位制卒業という経歴をよく目にするようになった。
先代の遺産を食いつぶす「バカ息子」のような現在の日本。現状の把握と、あり得る未来が描かれた3冊を取り上げ、今回は(結構まじめに)人間の尊厳について考えたい。
風俗と貧困のいま
以前、この書評で触れた『はじめての不倫学』の著者でもある坂爪真吾が、またも興味深いルポルタージュを世に問うた。
『性風俗のいびつな現場』(坂爪真吾、ちくま新書)
日進月歩の著しい現代文明において、ヒトの本能的な欲望を商売にした風俗産業ですら、時代についてゆくのがやっとのようだ。
規制強化により店舗型風俗が激減し、代わって雨後のタケノコのように、派遣型であるデリバリーヘルスが増えた。
店舗型では普通に行われていた、他店との差別化や工夫の余地、遊び心あふれるオリジナリティといった、分かりやすく目に見える特色を打ち出せなくなったことが、業界全体が衰退する主な原因だろう。臭いものにはフタとばかりに、視界の隅に追いやるだけ追いやったというわけだ。
周囲の風俗通からそんな話を聞いていたから、本書の冒頭に書かれた「文化というクッションが無くなった現代は、言うなれば風俗が死んだ後の世界だ」という趣旨に共感と興味を覚え、購入を決めた。