現在審議中の安保法案について、元首相ら長老と多くの野党、並びに与党議員の一部からも、「戦争巻きこまれ論」が聞かれる。
長老や野党は「外国人を殺し、日本人が殺される」「自衛隊員から死者が出る」など、国民の不安を煽り、また直接の当事者となる自衛隊員およびその家族の心理に圧力をかけ、法案反対の声が高まるのを期待するような言辞ばかりである。
朝日新聞(2015年6月14日付)は「『リスク』という言葉が氾濫する」「安倍晋三首相が出席した衆院特別委員会だけで、『リスク』は計328回飛び交った」と書く。
しかし、リスクの対処策には触れず、ただただ、国民に「危険な法案」という印象だけを与えようとするかのようである。
職業自衛官であった筆者の経験や同僚の話などから総合すると、間口の広まり、すなわち対処行動の増大が問題ではなく、従来の法律の不備を補い自衛の対処が取りやすくなるということである。
それでも問題は多々残されているが、戦争抑止力は高まり、日本の安全に寄与することになる。
自衛(または戦争抑止)法案である
国会論戦では憲法前文および98条2項の国際協調精神が前提にあることが忘れられている。ある評論家が「もう神学論争はご免だ」と言っているように、国際社会の現実に向き合う必要がある。
「政治はどこまでも政治であって『倫理』ではない。政治一般に対するセンチメンタルで無差別的な道徳的批判は、百害あって一利もない」(マックス・ヴェーバー著『職業としての政治』)ということを銘記する必要がある。
日本は憲法9条1項で「戦争はしない」としているから、「戦争(するための)法案」であるならば、明らかに憲法を逸脱している。
しかし、政府提出の安保法案は9条が許容する武力行使に至らないグレゾーンにおける対処や(集団的)自衛権が議論の焦点になっているように、自衛権行使の範囲や態様であり、国際法上の違法な戦争とされる侵略戦争を容認するものではない。