“ご飯のお供”ふりかけの歴史と現状を前後篇で追っている。前篇では、ふりかけのルーツを探った。魚の塩干しを削った楚割(すわやり)や鰹の削り節、また、ごま塩などに源流を見出すことができる。商品としてのふりかけが誕生したのは大正時代だ。
後篇では、そのふりかけの“いま”を見ていきたい。日本人のコメの消費量が減っていくなかで、実は、ふりかけの市場規模はいまなお拡大中という。“主”のご飯が食べられなくなっているなか、 “従”であるふりかけは、なぜ勢いを保ち続けることができるのか。
今回、話を聞いたのは、ふりかけメーカーの1つである永谷園だ。同社は2014年には商品名に「超」の付くふりかけを発売している。いったい、なにがどのように「超」なのだろうか。ふりかけ市場活況の理由も探ってみたい。
「大人向け」という新機軸を打ち出す
日本人1人あたりのコメの消費量がピークだったのは1962(昭和37)年。以降、ほぼ一貫してコメの消費量は減少し、最近ではピークの半分未満にまで落ち込んでいる。2011年には、家庭でのコメ購入額がパンに抜かれてしまった。
だが、ふりかけ市場は堅調だ。春と秋のスーパーマーケットなどでの棚替時期には、ふりかけメーカーがこぞって新商品を投入する。商品の幅も、子供向けから大人を意識したものまで幅広い。日本人全体のご飯離れが進むなかで、ふりかけ市場は元気なのだ。
(参考:コメ消費量は農林水産省「食糧需給表」、ふりかけ市場規模は農文協『地域食材大百科第9巻』をもとに筆者作成)