このところ、ナチス・ドイツに関係する話題が続いた。1つはアウシュビッツの絶滅収容所が解放されて70年の式典であり、2つ目はユダヤ民族の絶滅という大罪を犯したドイツに反省を促す演説をしたワイツゼッカー元大統領の死去である。
ワイツゼッカー演説は日本人に好評で、被害者への補償ではドイツを見習うべきだという声が多い。
しかし、ナチスという特殊集団が罪を犯したもので、ドイツという国家・国民ではないという観点からの補償に終わっていることには理解が及んでいない。
筆者はアンネ・フランクの隠れ家やカウナスの領事館、さらにはアウシュビッツなどホロコーストに関わる諸所をここ数年で訪ねたことがある。
そのため感慨一入であると同時に補償問題などの議論に関心を持つものである。
犠牲者はユダヤ人だけではなかった
ナチス・ドイツによるホロコーストは強制労働による絶滅ばかりでなく、身障者の安楽死、人体実験、断種不妊手術など、優生政策に基づく拷問・虐殺以外の何ものでもなかった。
しかし、民族的迫害はユダヤ人だけではなく、ポーランドやソ連の知識人、少数民族の絶滅も計画していた。
多数民族が軽蔑の意を込めて「ジプシー(文化のない野蛮人)」と呼ぶロマ民族も、「犯罪種族」「純潔を乱す劣等人種」「反社会的な労働忌避者」などと見なされ、多く(50万人と言われる)が強制収容所へ連行・虐殺された。
ただ、ユダヤ人犠牲者の多さ(約600万人)に加え、1948年にはユダヤ民族国家のイスラエルが建国されたことなどから、ユダヤ人犠牲者を主体に対処が進められてきた。
ロマに対しては依然として偏見と差別が存在し続けた。特に西ドイツやオーストリアは民族差別的態度をとり続け、ロマがようやく連帯して「ロマ協会」を作ったのは1989年であったとされる。
10歳でアウシュビッツに収容され、その後ビルケナウ、ラーヴェンスブリック、ベルゼン・ベルゲンなどの収容所を2年半にわたって転々とした後、生きて帰ったロマ人の記録(チャイヤ・シュトイカ著『ナチス強制収容所とロマ』)を読んだ。