でも、そうやって接触を避けていると顔も名前も覚えてもらえない。どこかの水族館に電話すると、電話の向こうの会話が聞こえてくるんです。『加茂水族館から電話だよ』『ええっ? かもすいぞくかん? どこにあったっけー』って。

 実際、ここはすさまじい水族館でした。猿山があって、アライグマがいて、ウーパールーパー、電気ウナギもいて、ピラニアに至っては人骨のレプリカが水槽の中に沈んでいた。それこそ化け物小屋のようなもんですよ。15分で出る客もいましたからね。本当に取るに足らない水族館でした」

 長年にわたって、利益が出ても本社の借金返済に流れていったため、建物のリニューアルや展示強化にかけられる費用はなかった。なけなしのお金でいろいろな生き物を展示したりショーを開いたり、あらゆる手を打ったが、入館者の減少に歯止めがかからない。94年には起死回生の一手として、当時ブームになっていたラッコを購入した。しぶる本社を説得してなんとか購入資金を借りた。だが、入館者が増えたのはその年だけだった。ラッコ購入が裏目に出たのはこたえた。

 水族館の壁にはひびが入り、天井からは雨水が漏れていた。だが経営はぎりぎりの状態で、補修する資金はどこにもない。年間の入館者は10万人を割り込んでいた。今後、入館者がますます減り、困窮を極めていくことは目に見えている。もはや水族館に未来はなかった。館長は、そろそろ閉館する時期が来たようだと覚悟した。

 そんな状況の中で、小さな神様が現れたのだ。村上館長はこう表現する。「神様がクラゲの姿になって助けに来たんです」

「クラゲで日本一を目指そう」

 97年4月、奥泉氏は「サンゴとサンゴ礁にすむ魚たち」という特別展の担当をしていた。飼育係の1日の最初の仕事は館内の見回りである。奥泉氏が特別展のサンゴの水槽をチェックしていると、ライトの下にほんの4ミリぐらいの小さな生き物がうようよ集まっているのに気がついた。サンゴの根元に小さな卵があり、その卵から出てきた生き物だった。

副館長の奥泉和也氏

 「これはなんだろうと館長に聞いてみたけど分からない。そこで、あちこちの水族館の知り合いに電話してみました。すると、たぶんそれはサカサクラゲだと教えてくれました。卵がサンゴの根っこにくっついていて、そこからクラゲが生まれるんだよ、水族館ではよくあることだよ、えさはアルテミアを与えればいいよと」

 奥泉氏はその生き物を採集して水槽に入れ、餌を与えた。「面白い生き物だなあと思って飼い始めたんです」。サカサクラゲはどんどん育っていった。