結局、その4年後に庄内観光公社の経営は行き詰まり、水族館のほとんどの職員が解雇される事態に陥った。事実上の倒産である。

 温泉施設と水族館の経営は東京の商事会社に引き継がれた。閉館は免れたが、経営母体が代わっても水族館の利益はすべて温泉施設の借金返済に吸い取られた。

 67年以来、館長を務めてきた村上龍男氏は、「市立水族館の職員になったと思ったら、いきなり売り飛ばされ、それから本当にいろいろなことがありました。お金を全部持っていかれ、ずっと金返せ金返せと迫られ続けたんです。どうしてこんなことになるのかと憤懣やるかたありませんでした」と率直に心境を語る。

 同館は2006年に鶴岡市に買い戻されるまで億を超す借金を肩代わりさせられたり、これでもかこれでもかといたぶられてきた。まるでかつてのテレビドラマ「おしん」のような不幸な境遇であった。

起死回生のラッコ購入も空回り

村上龍男館長

 村上館長は、自分たちは「老朽、弱小、貧乏」水族館だと言ってはばからない。

 確かに初めて訪れた人は、その小ささと古さに驚かされる。大阪の海遊館や沖縄の美ら海(ちゅらうみ)水族館のような巨大水槽を構える水族館とはまったく別世界である。あまりにも質素なこの施設を、同じ「水族館」というカテゴリーでくくっていいものかと疑問にさえ思えてくる。

 同館がいかに落ちこぼれの劣等生だったのか、職員がどれほど惨めな思いをしてきたのか、副館長の奥泉和也氏の回想に耳を傾けてみよう。後で詳しく述べるが、奥泉氏は同館でクラゲを最初に「発見」した人物である。

 奥泉氏はこう振り返る。

 「若い頃から水族館の全国会議に行かせてもらいましたけど、他の水族館の人たちと朝ご飯を一緒に食べるのがいやでした。だって会議ではお金持ち水族館の連中がいろいろな難しいことを発表して、こっちはただ聞いているだけなんですよ。朝ご飯を食べるときも、みんな生き生きと会話しているわけです。そんな中で明らかに場違いな雰囲気があって、ああ、みんなと顔を合わせたくないなあと朝ご飯を食べなかったことが何度かあります。