「一夜でできた」のではなく「一夜で消えた」?墨俣城の驚きの演出
前回の放送にあったように、蜂須賀正勝(通称・小六/はちすか ころく)の協力を取り付けた豊臣秀吉と秀長は、ついに「一夜城プロジェクト」を実行に移す。
「秀吉がたった一夜で完成させた」という伝説が語られている墨俣城(すのまたじょう)だが、同時代史料での裏付けが乏しい。実在したとしても、城というよりも、せいぜい砦程度だったのではないかと言われている。
また、砦にしても一夜で完成することはあり得ないだろう。秀吉が数日程度ですばやく完成させたところ「まるで一夜で完成したように敵方からは見えた」ということで、「墨俣一夜城」として語られたのではないか、と見られている。
そんな背景も踏まえると、今回の放送にあった、兄弟での掛けあい漫才のようなやりとりもなかなか味わい深い。
秀吉「墨俣に城ができたら、わしにくれると殿は仰せじゃ。わしもいよいよ城持ち大名よ」
秀長「城じゃなくて砦じゃろ」
どんなプロジェクトだったのか。その詳細は前回記事【なぜ墨俣一夜城は「不可能」と言われたのか? 大河『豊臣兄弟!』で描かれた蜂須賀小六との交渉と築城の舞台裏】の解説をご覧いただきたいが、今回の放送でも秀吉が信長にこう簡潔に説明している。
「木曾山中で切り出した材木を一旦松倉城へと運び、ここでできる限り組み立てやすい形にいたしまする。ここから先は川の流れがゆるやかになりますゆえ、そのまま墨俣へと運ぶことができまする。あとは一息に組み上げますれば」
興味深そうに耳を傾けていた信長から「いかほどかかる」と聞かれると、秀吉は工期について説明をした。
「一夜……と申しあげたきところではございますが、堀と柵を作り形をくみ上げるまでに3日。すべて出来上がるまでに7日」
ここも「墨俣一夜城伝説」の現実的な路線を踏襲していることがわかる。だが、今回の放送では、さらに「墨俣一夜城」の新解釈を打ち出してきたことには驚かされた。
秀吉たちは、計画通りに短期間に墨俣に砦を造ることに成功したが、美濃の三人衆・氏家直元率いる斎藤軍の総攻めを受けて、馬防柵が破られてしまう。
敵兵が流れ込んでくるのを見て、秀吉は「ここまでか……」とつぶやき、正勝に合図を送る。すると、味方の兵たちが一斉に撤退。川に用意していた筏に乗り込んだと思うと、川並衆たちが墨俣城に油をまいた。そして、秀吉が用意していた油桶に向けて火矢を放つ。火はあっという間に燃え広がり、斎藤軍は慌てふためいた。
実は、秀長は砦を築くだけではなく、そのあとに斎藤軍に攻め込まれた場合のことも考えていた。そのときは、墨俣城に火を放つことで、相手に大きな痛手を負わせようと考えていたのである。
火が放たれる前の秀吉の言葉が、心に残る。
「たった一夜であったが、お主らと共に造ったこの城のこと、わしは生涯忘れぬ。よき城であった!」
なんと、一夜でできたのではなく、一夜で消えたので「墨俣一夜城」とは、なかなか斬新だ。墨俣城伝説が確かな史実に裏付けられていないという点を逆手にとり、カタルシスを感じさせるストーリー運びとなった。