酒色に溺れる愚将は後世の創作?史実が示す斎藤龍興の「集団指導体制」
史実においては、守就のみならず稲葉良通や氏家直元など「西美濃三人衆」が、信長のもとに下る。今回の放送では、そんな予兆が演出されていた。取り囲まれた秀長が、守就にこう訴えたのである。
「信長様なら、新たな面白き世を必ずおつくりになると。斎藤龍興様にはそれができまするか?」
ふいにそう問われた守就は「織田の手になど渡せるか」と言い放ち、攻撃を再開させたが、答えるまでに表情が揺らいだのに気づいた視聴者も多いはず。胸中には、斎藤龍興への不信感が渦巻いていたに違いない。
というのも、織田方がまたもや墨俣に築城しようとしていることについて、甥の半兵衛から「此度は何かが違う」と忠告を受けた安藤。龍興に「川並衆と手を結んだ様子もござりますれば、早めに手を打つべきかと」と進言するが、龍興からは「寄せ集めと組んだところで一体何ができよう」と軽くあしらわれてしまう。
いったんは、龍興の命に従うほかなかった。しかし、信長の墨俣攻めには、やはり裏があったことが明らかになった今、その不信感はピークに達していたに違いない。
今回の『豊臣兄弟!』でもまさにそうだが、ドラマで斎藤龍興といえば「酒色に溺れた」「放埒な」愚将として描かれることが多い。だが、天文15(1547)年に斎藤義龍の子として生まれた龍興は、父が急逝したことで、わずか15歳の若さで斎藤氏の家督を継ぎ、稲葉山城主となっている。
「国盗り」の逸話が伝説的に語られている祖父の斎藤道三や、その道三を討って内政面で手腕を発揮した父の斎藤義龍に比べると、どうしても龍興はリーダーとしても心もとない。
実際に龍興がどんな統治を行っていたのか、それを示す国内の文書は残っていない。そのことから、やはり酒や女にかまけていたのか……と解釈されがちだが、実際には父が作りあげていた体制がしっかり機能していた。
その機能とは、6人の側近を「六人衆」として編成し、さらにその下に実務を担当する奉行人を配置するというもの。義龍は独裁に陥った父・道三と同じ轍を踏むまいと、側近にも権限を持たせた。
たとえ自身の文書がなくても、六人衆の連署状(れんしょじょう)だけで、斎藤家の命令伝達や執行を可能にし、そのシステムを息子の龍興も継承していたようだ。
家督継承の直後から激しい信長の攻撃を受けた龍興。「森部合戦」では、「六人衆」のうち2人を亡くすが、それでも残りの4人が中心となり、政務を行ったあとが残っている。さらにそこから1人亡くなり、現在のドラマで描かれている3人衆となった。
『斎藤氏四代 人天を守護し、仏想を伝えず』(木下聡著、ミネルヴァ書房)では、次のように分析されている。
〈よく若年の龍興が、政務を顧みず、酒色にふけっていたとされるが、これは内政を重臣に任せていたことの裏返しであり、江戸時代に遊興にふける藩主のイメージが投影されているにすぎない〉
そう考えると、ドラマでの龍興が、側近の発言を重視していないのは致命的だ。実務を任されている3人が「やってられるか!」と信長のもとに走ってもおかしくはない。
ドラマでは、墨俣城の計画を聞いた信長が「あの墨俣にわずか数日で我らが砦ができあがったときの龍興の面食らった顔が目に浮かぶわ」とほくそ笑み、秀吉が「さぞまぬけ面でございましょう」と応じる場面があった。
今回は、斎藤方の反撃により、そううまくはいかなかったが、秀吉がいうところの「龍興のまぬけ面」が見られるのか。ここからの織田方の反撃に期待したい。
次回の第9話「竹中半兵衛という男」では、秀吉と秀長は美濃国主・斎藤龍興の家臣・竹中半兵衛の調略に着手する。
【参考文献】
『斎藤氏四代 人天を守護し、仏想を伝えず』(木下聡著、ミネルヴァ書房)
『現代語訳 信長公記』(太田牛一著、中川太古訳、新人物文庫)
『多聞院日記索引』(杉山博編、角川書店)
『史料大成多聞院日記〈全5巻〉』(竹内理三編、臨川書店)
『図説 豊臣秀長 秀吉政権を支えた天下の柱石』(河内将芳著、戎光祥出版)
『豊臣秀長 シリーズ・織豊大名の研究』(柴裕之編、戎光祥出版)
『豊臣秀長のすべて』(新人物往来社編、新人物往来社)
『戦国最高のNo.2 豊臣秀長の人生と絆』(真山知幸著、日本能率協会マネジメントセンター)