ドンバス地域での戦闘概要
(1)ドンバス地域(ドネツク州とルハーンシク州の全域)におけるロシア人の割合等
1970年代のレオニード・ブレジネフ時代にはソ連の停滞がウクライナにも及び、穀物生産量、工業生産量がともに減少し、経済成長率の低下が続いた。
それでもソ連の他地域よりも恵まれていたため、ウクライナへのロシア人の移住が相次ぎ、移住者は1926年には300万人だったのが、1979年には1000万人となり、ウクライナ総人口の20%を超える状態となった。
(出典:中公新書黒川裕次著「物語 ウクライナの歴史」)
2001年ウクライナ国勢調査のデータによると、ウクライナの総人口は4845万人で、そのうちロシア人は833万人で全人口の17.3%である。
ドンバス地域におけるロシア人の割合は、約40%(ルハーンシク州は約39%、ドネツク州は約38%)である。
ちなみに、クリミア自治共和国(セヴァストポリ除く)のロシア人は約118万人で割合は58.3%である。
ドンバス地域の面積は(約5.3万平方キロ)で、ウクライナの総面積(約60.4万平方キロ)の約9%を占めている。
ちなみに、ドンバス地域の面積は、四国と九州を合わせた面積(約5.3万平方キロ)にほぼ匹敵する大きさである。
2014年以降、ドンバス地域の約3分の1は分離派勢力に支配されていたが、2022年のロシアの全面侵攻後、2026年1月時点ではロシア側がルハーンシク州のほぼ全域とドネツク州の大部分を掌握している。
(2)ドンバス地域の戦闘と停戦協定の経緯
2014年のマイダン革命(後に「尊厳の革命」と呼ばれる)の結果として当時のヴィクトル・ヤヌコーヴィチ大統領が失脚し、ロシアへ亡命することになった。
親ロシア派のヤヌコーヴィチ大統領の失脚はロシアの猛反発を招き、ウクライナ領のクリミア半島のロシアによる併合(2014年3月18日)と親ロシア派武装勢力によるウクライナ東部のドンバス地域における武力衝突を引き起こした。
2014年3月初旬からロシアを後ろ盾とする反ウクライナ政府の分離主義グループが、ドネツク州とルハーンシク州で抗議行動を実施した。
当初の抗議行動は主にウクライナ政府に対して不満を表明する国内的なものだったが、ロシアが彼らを利用してウクライナに対する組織的な政治活動および軍事行動を開始したとする見方もある。
2014年4月12日、所属不明の分離主義武装勢力がウクライナ内務省のドネツク事務所を占拠し、ドネツク人民共和国の成立を宣言した。
4月14日までに親ロシア派武装勢力が同州内にある多くの都市で政府庁舎を占拠した。
4月27日にはウクライナ国営テレビの地方局が占領され、武装勢力がロシアのテレビ番組を放送するようになった。5月4日にはドネツク市の警察本部にドネツク人民共和国の旗が掲げられた。
また、ルハーンシク州の暴動は4月6日に始まり、約1000人の活動家がルハーンシク市にあるウクライナ保安庁(SBU)の建物を占拠した。
警察は建物の支配を奪回することに成功したが、デモ隊は「人民の議会」を求めて建物の外に再集結し、ロシアへの連邦入りまたは併合に向けた「人民政府」樹立を要求した。
4月27日にルガンスク人民共和国が宣言された(ルガンスクはロシア語読み、ウクライナ語ではルハーンシク)。
彼らは、4月29日14時までにウクライナ政府が要求を満たさなければ、自分たちはドネツク人民共和国と並行して反乱蜂起する予定であるという趣旨の最後通牒を発布した。
一方、罷免されたヤヌコーヴィチ大統領に代わり、大統領代行に指名されたオレクサンドル・トゥルチノフ氏は4月13日、同国東部地域の分離主義運動に対する大規模な「対テロ作戦」を開始すると表明した。
2014年4月15日、トゥルチノフ大統領代行は議会で演説し、ウクライナ東部ドネツク州で「対テロ作戦」を開始したと述べた。
この作戦は2014年8月下旬までに、親ロシア勢力の支配地域を大幅に縮小することに成功した。これに対してロシアはドンバス侵攻を開始したとみられている。
米国の非営利・公共政策シンクタンクであるランド研究所のリポートによれば、2014年8月22日から25日にかけて、ロシア当局側が「人道的支援の車両部隊」と称した車列がウクライナ政府の許可なしに国境を越えてウクライナ領土に入ったとされる。
この越境は親ロシア勢力の支配域のほか、支配下でないドネツク州南東部などの地域でも観測された。
ウクライナ保安庁長官のバレンティン・ナリバイチェンコ氏は8月22日の出来事を「ロシアによるウクライナへの直接的侵略」と語った。
この結果、ドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国は、以前にウクライナからの軍事攻撃で失っていた支配域の多くを奪回した。
2014年9月5日にウクライナ、ロシア、ドネツク人民共和国、ルガンスク人民共和国が、欧州安全保障協力機構(OSCE)の援助の下、ベラルーシのミンスクで「ミンスク議定書」に調印した。
ドンバス地域における戦闘(ドンバス戦争)の停止について合意した文書である。
しかし、2015年1月にドネツク国際空港やデバルツェボを含む紛争地帯全域で激しい戦闘が再び起こり、ミンスク議定書によるドンバスでの休戦は完全に失敗した。
2015年2月11日にはドイツとフランスの仲介により「ミンスク議定書」の更新版である「ミンスク2」がウクライナとロシアによって調印された。
「ミンスク2」の内容は、「ミンスク議定書」とほぼ一致しており、ウクライナと分離独立派双方の武器使用の即時停止、ウクライナ領内の不法武装勢力や戦闘員・傭兵の撤退、 ドンバスの「ドネツク人民共和国」と「ルガンスク人民共和国」 の特別な地位に関する法律の採択および選挙の実施などである。
「ミンスク2」の停戦発効から3日目を迎えた2月17日、交通の要衝デバルツェボで自動小銃と携行式ロケット弾などで武装した親ロシア派勢力と数千人のウクライナ政府軍部隊の間で激しい戦闘となった。
ウクライナ政府はすでに揺らいでいる停戦が破綻しつつあるとして親ロシア派とロシアを強く非難した。2015年2月18日にウクライナ軍が撤退し、分離主義勢力が勝利した。
2015年3月2日、国連人権高等弁務官事務所は、ウクライナ東部の衝突による2014年4月以来の死者が推定6000人を超えたと発表した。
2019年12月9日、フランスのエマニュエル・マクロン大統領とドイツのアンゲラ・メルケル首相(当時)が仲介し、ウクライナ東部紛争の収束を目指し、ウクライナ、ロシア、フランス、ドイツの4か国首脳会談がパリで開催された。
ウクライナのゼレンスキー大統領とロシアのプーチン大統領は初顔合わせとなった。
この首脳会談後に発表された共同声明では、
●政府軍と親ロシア派勢力が対峙する地域では、翌年(2020年)3月までに双方が撤退する。
●停戦を確実にするため、欧州安保協力機構(OSCE)による監視活動も強化する。
●4か月後をめどに次の首脳会談を開催することでも一致したことなどが発表された。
この首脳会談後の会見で、ゼレンスキー氏は「ドンバスと、クリミアはウクライナのものだ」と発言し、ロシアを強く牽制。
これに対しプーチン氏は「紛争解決には直接対話が必要だ」と述べ、ゼレンスキー氏が親ロシア派武装勢力と交渉するよう求めた。その後、これらの合意事項が履行されることはなかった。
2022年2月21日にプーチン大統領は、ウクライナ東部でロシアへの編入を求めるウクライナ東部の分離独立派が実効支配する「ドネツク人民共和国」および「ルガンスク人民共和国」を国家として承認する大統領令に署名した。
同時に、国防省に対して両地域での平和維持活動を行うよう指示した。
2月22日に行われた国連安全保障理事会において、米国のリンダ・トーマス=グリーンフィールド国連大使は「(今回の国家承認は)ウクライナ侵攻への口実だ」と非難した。
2月22日の記者会見にて、プーチン大統領はウクライナ東部停戦の「ミンスク合意」が長期間履行されず、もはや存在しないと主張し、破棄を表明した。
そして、2022年2月24日にロシアはウクライナに侵攻した。