もとより、その気でいたところをくじかれた格好だ。このままでも、それこそ「使い捨て」で終わってしまう。ならば、方向性はひとつでしかない。
それから3日後、私から幹事長に電話を入れた。やる気ならまだある、その旨を伝えた。「そうですか。では、追って連絡します」と先方は言った。
ここからステージは同じ東海ブロックの岐阜に移る。そこでの顛末はまた「岐阜編」で示すことにする。
ただ、事情を簡単に説明すると、候補者の決まっていない岐阜県第1区から擁立するか、7月の参議院選挙を手伝うことで決めたいということだった。私は1カ月間、岐阜市に滞在して選挙事務所に詰めた。そこで与えられた役割は弁当を買いに行く、選挙カーの整備、住所録をパソコンに打ち込むなどの裏方だった。
私は職務に徹底して専念したつもりだったが、選挙が終わると「政治家としてのアピールが足りない」「政治的センスがない」「事務職なら(雇っても)いいよ」などと言われ、追い返された。公認を得ることはできなかった。ここでも「使い捨て」だった。
伊勢市議選へ無所属で出馬する決意固める
路頭に迷ったことは間違いない。ここまで国政に向かって力を注いでくると、なかなか諦めがつくものでもなかった。かえって執着が生まれる。それはギャンブルでの負けがこむと、いつかは勝てるのではないか、今度こそはうまくいくのではないか、と依存症に陥っていく姿に似ていた。一度とはいえ選挙を体験して、賛否が降りかかってくる身としてはなおさらのことだった。
では、どうしたらいいのか。選挙区はない。
そんな時、ある人物から市議会議員選挙に出てみてはどうか、と声をかけられたことを思い出した。
伊勢市の市議会選挙が10月にある。それに立候補するべきだというのだ。
それもひとり、またひとりと声をかけられた。国政を目指すにしても選挙区は決まらず、また新しい未開の土地で最初からやり直すにしても、まずはこれまでの政治活動の拠点だった場所で、足元を固めて政治を学び直す良い機会だ、というのだ。
私は伊勢市内で懇意にしていた支援者にも相談してみた。「それは大賛成」と二つ返事で言ってくれる人がいた。是非やってみるべきだ、という人もいた。
だが、10月の最終週の日曜日が投開票日で、もうすでに9月に入っていた。選挙の事前説明会は8月の前半に終了している。いまから選挙に向けた活動に入るにしても、他候補に比べて周回遅れだという指摘もあった。
それでも政治活動を続けるのであれば、この機会を逃す必要もない。幸い支持を表明してくれる人たちもいる。ちょうど1年前の総選挙で名前を覚えていてくれた人もいるはずだ。「政治的アピールが足りない」「政治的センスがない」などと誹りを受けた、自分を試すにもいい機会になる。
これはいまあるベストの選択である。
もはや立憲民主党にも支持母体にも支援は求めない。本当に自分を推してくれる人たちだけで選挙に挑む。市民の力と支えによる政治。
私はそう覚悟を決めた。