未開の地を肥沃な「天府の国」に変えた古代の技術

 四川省(かつての蜀)は、「太陽が見えると、犬が怪しんで吠える」という諺(ことわざ)があるほど滅多に晴れない。私の撮影日誌でも、毎日ど曇り・ずっと雨・霧で視界ゼロなどが1週間つづいている。これは周囲をぐるりと山脈に囲まれ、湿った空気が盆地に溜まってしまうからだ。

 都江堰がある地は、急峻な山から岷江(びんこう)が流れでる扇状地の頂にあり、太古から洪水を繰り返してきた。けれども四川平原には、崖にさえぎられ水が流れ込まなかった。そんな未開の地を米がたわわに実る「天府の国」に変え、秦の天下統一に貢献したのが、2300年前の水利施設なのである。

魚嘴と呼ばれる都江堰の中州の先端 星星, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

 都江堰はダムではなく、人工の中州をつくって流水路を巧みに配置するだけで、見事なまでに急流をコントロールしている。その仕組みは3つ。まず中州(1kmにおよぶ金剛堤)の“魚嘴(ぎょし)”と呼ばれる先端で、流れを本流(外江)と人工水路(内江)に分け、水量を調整する。そして内江に流れ込んだ水は、崖を掘削して通した取水口“宝瓶口(ほうへいこう)”から灌漑用水として四川平原に送られる。

 この時、流量が多すぎないように調節するのが、中州の果てにある“飛沙堰(ひさえん)”だ。内江の水位が上がり、飛沙堰の高さ以上になると、オーバーフローして過剰な水は本流へと戻ってゆく。

都江堰を望む二王廟に祀られている李冰像 マット, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

 魚嘴・宝瓶口・飛沙堰……何も知らずに眺めたら、岷江は遠い昔からこうやって自然のまま流れてきたとしか想えない。しかし1974年、川底から1体の石像が発見され、それは司馬遷の「史記」で都江堰を築いた男とされた李冰(りひょう)だった。水位を測るために、岷江の急流の中に立てられたのだ。石像に刻まれた銘文から、蜀の地方長官である李冰の像だと判明した。その遺徳を偲ぶ民衆によって、李冰は道教の神々の列に加えられ、いま都江堰を望む二王廟に祀られている。