コパンのマヤ遺跡の祭壇と石碑がある大広場 写真/フォトライブラリー
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(髙城 千昭:TBS『世界遺産』元ディレクター・プロデューサー)

2012年地球滅亡説の出所はマヤ文明の暦

 2012年12月21日に地球は滅亡する……そんな“マヤの終末予言”が存在すると、世界中のマスメディアが沸き立ったのを覚えているだろうか? アメリカではSFパニック映画「2012」も公開され、NASA(米航空宇宙局)が「滅亡説を否定」する異例の声明をだす事態にまで陥った。現実には、13年後の今なお地球は回り続けている。

 では噂の出所はというと、マヤ文明の長期暦にあった。これは紀元前3114年8月11日を起源として、5125年あまり(正確には187万2000日)で一巡する暦である。中米グアテマラの世界遺産「キリグア遺跡公園」の石碑Cには、正確にその始まりの日付が刻まれている。だから「地球最後の日」は、いわゆる“大晦日”に過ぎない。翌2012年12月22日は、マヤ人の5千年に一度の“元日”であり、メキシコや中米諸国では新たな時代を祝う祭典が大々的に開催された。

キリグア遺跡公園の石碑C デニス・G・ジャービス, CC BY-SA 2.0, via Wikimedia Commons

 今回紹介するホンジュラスの世界遺産「コパンのマヤ遺跡」(登録1980年、文化遺産)では、希望する日付をマヤ文字で描きポスターにして販売していた。私は、妻の誕生日1958年6月17日を注文したのだが、表記の仕方は、西暦の日・月・年・世紀にも似た5つの単位から成る。1日を「キン」、20キンを「ウィナル」(20日)、18ウィナルを「トゥン」(20×18=360日)、20トゥンを「カトゥン」(360×20、約20年に相当)、20カトゥンを「バクトゥン」(360×20×20、約400年に相当)と呼ぶ。1958年6月17日は7キン、12ウィナル、4トゥン、17カトゥン、12バクトゥンとなり、起源の日から185万2087日経っているということである。

 マヤ暦は、古代インドに先駆けてゼロの概念があり、手足の指で数えられる20進法が基本である。全部で4~5万あるというマヤ文字も8割は解読され、祭壇や石碑などに刻まれた碑文の“王朝史”が明らかになってきた。

 日本人と同じモンゴロイドが築き上げた都市文明であるマヤは、メキシコのユカタン半島を中心に、紀元前10世紀頃からスペインに征服される16世紀まで、2500年以上にわたり栄えていた。統一する王国は生まれず、多い時には70もの都市国家が緩やかにつながり、時に敵対しながら文化を共有してきたのだ。都市国家ゆえに、それぞれが建築・装飾や政治体制などユニークな地方色を纏っている。そうしたマヤ遺跡の唯一性が高く評価され、世界遺産には4カ国で8カ所が登録されている。