朱にまみれた頭蓋骨は初代王か?
マヤの都市には、中心部に幾つものピラミッドや王宮などの公共建築が林立する丘があり、“アクロポリス”と呼ばれている。コパン遺跡では、そのアクロポリスの東側が川の浸食によって大きく削り取られ、大建築群の断面が露出している。これが16代・400年にわたった建設プロセスを一目瞭然にして、圧巻なのだ。
コパン遺跡のアクロポリス跡
断崖のように石材が積み上げられ、そこに白い分厚い漆喰の床面が、所々に幾層にも張り巡らされている。下の方や中段にひょっこりアーチ型の空間も顔をのぞかせる。実はマヤの神殿ピラミッドは、新しい王が即位すると古い神殿を埋め、それに覆い被せる形で新ピラミッドを嵩上げしたのだ。
コパン遺跡の調査を続けてきたペンシルバニア大学の案内で、高さ37mにおよぶ最大の神殿ピラミッドの地下に潜ったことがある。暗い発掘トンネルを行くと、狭い通路の向こうに真っ赤な壁が突如現れ、ヌッと奇怪な顔があった。息をのむ瞬間とは正にこれで、初代王に捧げた赤い神殿が埋葬されていた。が、それだけではない。
さらに地下に降りると、浮彫りになった絡み合う2羽の鳥(ケツァルと金剛インコ)の口から2つの太陽神が出現する。前述した初代王の名を示していて、その赤く彩られた壁もまた、初代王に捧げられた古い神殿だった。神殿は都合4つ埋められ、最下層の内部からは、朱にまみれた頭蓋骨が発見された。マヤ研究者は、これが初代王ヤシュ・クック・モではないかと考えている。
マヤ文明のピラミッドは、内部に王が眠る墓であり、かつ頂きに祠をもつ神殿である。そして先祖の神々が宿る“山”を信仰して、神聖な山を人工的なピラミッドとして造り出したのだ。マヤ人は、それを鉄器や車輪、荷を運ぶ大型の家畜を使わずに、石器と人力だけで実現した。
王は天にもっとも近い神殿で、神々と人との仲介者として儀式を行う。自らを傷付け、その血を神に捧げることさえあった。アカエイの尾骨を使って男根や耳を切りつけ、豊穣を祈ったのだ。また世界が続くために必要との想いから、ジャガーや人身を生け贄として捧げる場合もあった。これがスペイン人によって誇張され、「血塗られたマヤ」のイメージが捏造された。想像だにしない伝統や風習は、受け入れ難かったのだろう。
中央アメリカで栽培が開始されたトウモロコシを粉に挽きつぶして、それを円く焼いたトルティーヤを主食にしていたマヤ人。彼らが話したマヤの言葉は、現在なお30ものマヤ語族に受け継がれ、800万人以上の末裔が使っている。マヤ世界は消滅してしまったのではなく、「現代進行形の生きている文化」になった。
世界遺産「コパンのマヤ遺跡」は、そんな実像を伝えるための“出会いの場”である。
(編集協力:春燈社 小西眞由美)




