深山幽谷の仙境で出会った117歳の女道士
一方、青城山は四季を通して青々と木々が茂り、36の峰々(主峰は海抜1600m)がまるで城のように見えることからその名が付いた。天を突くように反り返った軒先を持ち、魔除けの聖獣や道教の神々がちりばめられた山門をくぐると、そこは鬱蒼とした森がつづく仙境である。石段がどこまでも伸び、深い谷を九十九折りの道がぬっている。
青城山の山門
深山幽谷のそちこち、なけなしの平地や崖の洞窟をうがって道観が建つ。かつては100を超えたというが、いま残る寺院は38カ所。そのひとつ天師洞で、西暦126年に開祖・張道陵は、道教の前身とされる教団「五斗米道(ごとべいどう)」の布教を始めるのだ。信者たちに五斗の米を納めさせ、呪術で病の治療を施したらしい。
以来1900年、現在も青城山では道士たちが、自給自足を旨として出家生活を送っている。その数は約200人(2003年当時)で、7割が女性だった。道教では男女は全く平等で、男と女が同じ道観でともに修行に励む。そこには道教が掲げ、広場や祠に刻まれる“太極図”の生き方がある。陰と陽……全てはふたつのバランスから生じるのだ。菜食を貫き、結婚をしない道士たちが祈るのは、「今を幸せに生きること」。
書家が筆をふるった「不言之教」「上善如水」の扁額が掛かる、間口が広く吹き放しになった木造2層の天師洞の楼閣は、清代(19世紀)に再建された。そこに面した広場には、張道陵が手植えした樹齢2000年と聞くイチョウの巨木がそびえる。道士はこの地を中心に、青城派の太極拳を受け継ぎ、山で薬草を集めて秘伝の漢方薬“天王補心丹(てんのうほしんたん)”を作りつづけてきた。
一説では、不老不死の仙薬を目指した道教の煉丹術から火薬が発明されたという。青城山は、建物のほとんどは清代以降の再建であるが、瓦が苔むすように時を刻みこんだ、“生きて呼吸をしている”世界遺産なのだ。
茶園が広がる斜面にたたずむ玉清宮で、私はひとりの女性道士に面会した。自称・齢117歳という張信忠さんである。その年齢を信じようが信じまいが、彼女の振る舞いは、確かに“仙人”を思わせた。付き人に支えられてはいるが軽い足取りで現れ、赤ちゃんのような頬を見せながら、こう言っただけで帰っていったのだ。
「私ひとりだけが、幸せになるのは良くない。道教の神さまは、皆が幸せになるように守ってくれます」
道教には、人の願いの数だけ神がいる。時代が変わり、人が新たな願いを抱いても、それに応える神が生まれるのだ。青城山は、その始まりの地である。
(編集協力:春燈社 小西眞由美)




