史実でも文化オタクだった定信の「穏やかな晩年」

 幕政から離れただけではなく、藩主を退任してからも、定信に助言を求めて来訪する者は後を絶たなかったようだ。「寛政の改革」は庶民には不評だったが、その見識は確かなものだったのだろう。

 自身が残した『花月日記(かげつにっき)』によると、定信は来客のほとんどを拒絶。その代わりに、子どもたちや近しい家族、親しい友人たちとよく交わったようだ。

 今回の放送では、蔦重の耕書堂を訪れたときの挙動が「完全にオタク」とSNSを盛り上げることになった定信。数多くの和歌や書画を残しながら、穏やかで文化的な引退生活を送ることとなった。

霊巌寺(江東区)にある松平定信の墓(写真:a_text/イメージマート)

 次回はいよいよ最終回「蔦重栄華乃夢噺(つたじゅうえいがのゆめばなし)」。写楽絵を出し続けながら、和学の分野にも新たに乗り出した蔦重だったが、江戸の流行病「脚気」に倒れることになる。

【参考文献】
『平賀源内』(芳賀徹著、朝日選書)
『平賀源内』(新戸雅章著、平凡社新書)
『新版 蔦屋重三郎 江戸芸術の演出者』(松木寛著、講談社学術文庫)
『蔦屋重三郎』(鈴木俊幸著、平凡社新書)
『蔦屋重三郎 時代を変えた江戸の本屋』(鈴木俊幸監修、平凡社)
『宇下人言・修行録』(松平定信著、松平定光著、岩波文庫)
『松平定信 政治改革に挑んだ老中』(藤田覚著、中公新書)
『松平定信』(高澤憲治著、吉川弘文館)
『実録 江戸の悪党』(山下昌也著、学研新書)
『実はすごかった!? 嫌われ偉人伝』(真山知幸著、日本能率協会マネジメントセンター)
「蔦重の復活と晩年 その後の耕書堂」(山村竜也監修・文、『歴史人』ABCアーク 2025年2月号)
「なぜ蔦重は処罰の対象となったのか」(清水光明監修・文、『歴史人』ABCアーク 2025年2月号)