荒唐無稽ではない一橋治済の“ラスボス”ぶり

 ドラマでは、蔦重は11代将軍の徳川家斉を計画に巻き込んで、実際の治済に眠り薬を仕込んだお茶を飲ませることに成功。そのまま治済を阿波国に追放してしまい、その代わりに斎藤十郎兵衛が一橋治済として生きることになった。

 こうして改めて説明すると、とんでもない展開だが、斎藤十郎兵衛が能役者だったことを思えば、一橋治済の替え玉を務めるのは、スキルとしては確かに適している。

 今回の物語で悪玉となっている治済は史実において、文政10(1827)年に没している。寛政9(1797)年に亡くなる蔦重より約30年長生きして、政治の舞台からフェイドアウトもしていないことを思うと、治済を成敗するには、こういう展開しかなかったのかもしれない。

 整理しておくと、10代将軍の徳川家治の嫡男・家基が次期将軍だと期待されながらも、謎の死を遂げたことは事実であり、当時は「田沼意次が暗殺したのではないか」という噂も流れた。

 だが、父の代から、家治と関係性を築いていた意次からすれば、家基に継いでもらったほうが、意次も息子・意知(おきとも)にスムーズに実権を引き継げるというもの。

 結果的に得した人物として考えると、息子を将軍に据えることができた一橋治済が、家基の死に関係したと考えるほうが、少なくとも黒幕を田沼意次と考えるよりは筋が通ることになる。

 歴史家の山下昌也は『実録 江戸の悪党』にて「将軍の背後で蠢いた権力の黒幕・徳川治済」の項で、一橋治済がいかに暗躍したかを解説している。

 本書では〈豊千代(家斉)を将軍に就けるべく環境を整えていた〉とし、邪魔な松平定信を田安家から追い出したことや、治済の五男・斉匡(なりまさ)が田安家を相続して治済が田安家を乗っ取ったことなどを指摘。さらに、田沼意次の政治を支えた御側御用取次の横田準松(よこた のりとし)を追い落とすべく工作したのも治済だったとして、こう書いている。

〈家斉が将軍になり、定信が老中になって邪魔な意次一派が消え、治済の念願は叶った〉

 今回の『べらぼう』は戦もない時代に、しかも蔦重という商人を主役にしている。一体どのように物語を盛り上げるのかと、放送当初は私も危惧していた。

 だが、田沼意次や松平定信を時代のキーパーソンとし、将軍を操るべく動いた一橋治済を“ラスボス”として緩急をつけた物語運びは見事だといえよう。

 江戸の出版文化をストーリーの軸に据えながらも、10代将軍の家治から11代将軍の家斉への移行時における権力闘争にも、十分に引き込まれることになった。