『名華選』より、蔦屋重三郎が出版した『吉原細見』安永5年(1776)出典:国立国会図書館デジタルコレクション
歴史上には様々なリーダー(指導者)が登場してきました。その
「巧思妙算」が抜きん出ていた
大河ドラマ『べらぼう』の主人公は、俳優の横浜流星さん演じる蔦屋重三郎(江戸時代後期の出版業者)です。同時代人の戯作者・石川雅望は重三郎の「墓碑銘」に「志気英邁」(人に抜きん出た気性を持っていた)と刻みましたが、もし1つ「巧思妙算」が抜きん出ていたとも評しています。
大河『べらぼう』の時代考証を担当する鈴木俊幸(中央大学教授)はこの「巧思妙算」を「第一に時代の風を読み、また風を作る才能であろう」と述べています。山東京伝や滝沢馬琴・歌麿や写楽を育て、黄表紙(絵入り小説)や狂歌絵本などの人気作品を連発した重三郎に相応しい評価と言えるでしょう。
そんな重三郎も最初から何から何まで順風満帆だった訳ではありません。安永2年(1773)、新吉原に書店(耕書堂)を営むことになりますが、当初は老舗大手の版元・鱗形屋(孫兵衛)が毎年発刊する『吉原細見』という書物の卸し・小売の仕事をしていました。『吉原細見』とは吉原の遊女屋やそこに属する遊女、その揚代金などを記した「吉原の総合情報誌」とも言うべき冊子です。
鱗形屋が刊行する『吉原細見』の卸し、改め(編集・取材作業)を担っていた重三郎ですが、安永4年(1775)7月には『吉原細見』の出版を初めて手掛けます。それが吉原細見『籬乃花』です。『吉原細見』は鱗形屋の独占刊行物となっていたのですが、鱗形屋の系列に属していたといえども、重三郎はなぜ『吉原細見』を出版することができたのでしょう。
それは鱗形屋に問題が起きたためと言われています。大坂の版元が字引『増補早引節用集』を刊行していたのですが、その海賊版が江戸で作られるという事件が起こります。それに関与していたのが、鱗形屋の手代(商家の使用人。丁稚と番頭の中間身分)だったのです。
同年、訴訟を受けることになった鱗形屋は秋に刊行する『吉原細見』が出版できない状態になったと考えられています。ちなみに前述の海賊版制作は手代のみの企てではなく、3千4百冊も刷っていたことから、鱗形屋全体が関与していたと推定されています。






