ジリ貧の公明党は生き残れるか

 自民党と連立を組み、今唯一生き残っているのが公明党だ。得票数はジリ貧だが、やはり上部団体の創価学会の存在が大きい。公明の離脱は自民党内外で評価が高い。

 総裁選前に斉藤鉄夫代表は「保守中道」を標榜し、反高市を鮮明にした。公明の連立離脱宣言の背景に「高市政権は作らせない」という強い意思を感じたのは私だけだろうか。

記者会見する公明党の斉藤代表(写真:共同通信社)

 キングメーカー・麻生太郎氏は公明外しの急先鋒だった。公明党・学会を強い口調で批判してきた麻生氏に「切られる前に切る」ということだったかもしれない。

 自公連立以前から公明党は田中派・竹下派との太いパイプを持ち、田中角栄内閣の日中国交正常化(1972年)の橋渡し役となった。竹下内閣の消費税法案(1988年)にも公明党は賛成に回り、自民党や大蔵省は公明党の言い分を聞くようになった。

 小渕内閣では、金融危機対応のため破綻前の銀行への公的資本注入を可能とする金融健全化法を公明党の賛成で通すことができた(1998年)。これが導火線となって自公連立(1999年)ができる。私が1年生議員の時だった。

 その次の総選挙(2000年)で、私だけではないが、「比例は公明党」と書いてくれる人の氏名・住所・電話番号を記した1000人のリストを公明党から要求された。全員、公明党から裏取りされる。ある人から「投票所で公明党と書く時、手が震えたよ」と言われた。

 森内閣以降の清和会政権になっても自公連立は揺るがなかった。特に、2002年に小泉純一郎総理が南アフリカを訪問した際、創価学会インターナショナルの池田名誉会長写真展に行き「感動した」と語ったことで、両者が急接近したエピソードはよく知られている。

 当時、私が聞かされた言葉が、「『米財仏』を味方につけないと国は回らない」だった。つまり、アメリカと財務省、「仏」は創価学会・公明党のことである。しかし、「米財仏」の言う通りに動いた岸田内閣も石破内閣も倒れ、今や「財仏」批判がネット上ではあふれている。

 高市総裁誕生が中国の警戒心を高めたとしても不思議はない。

 斉藤代表は自民党総裁選後の6日、国会内で呉江浩駐日大使と会談した。高市氏の靖国参拝などに懸念が伝えられたとされる。SNS上では、このタイミングでの会談と、連立離脱を伝える新華社通信の速報が非常に早かったこととが関連付けられて話題になった。

 斉藤氏はネット番組ReHacQで、高市氏の評価をめぐる呉大使との会談内容を聞かれ、「ちょっと控えさせてもらいたい」と濁した。視聴者は相当デリケートな内容だったと受け止めただろう。

 高市総裁はドラムを叩く。ヘビメタがお好きでIron Maidenが推しバンドだとか。その楽曲Aces Highのミュージックビデオの冒頭にチャーチルとヒトラーが登場し、「我々は絶対降伏しない」という挙国一致内閣チャーチル首相の有名な議会演説が流れるシーンがある。

 Iron Lady「鉄の女」の異名がある英国・サッチャー首相を目指すと公言する高市氏である。推しのIron Maidenは「鉄の処女」と訳せる。その隠れた意味はおどろおどろし過ぎるので書かないが、まもなく誕生する日本初の女性首相は、マキャベリ的意味で「恐れられる」要素も兼ね備えている。