自公連立政権の「実態」

 公明党は、1999年10月、小渕恵三第二次改造内閣の下で自民党と連立政権を組んだ(当初は自由党、次に保守党も加わっての連立政権)。それ以降、2009年から2012年までの下野時代はあるものの、今日まで20年以上にわたって自公連立政権を継続してきている。

 政策的には、タカ派色の強い安倍政権下でも、上手に妥協し、連立を継続してきた。

 20年にわたる連立の過程で、多くの自民党議員にとって、公明党・創価学会は当選するための命綱になっていった。小選挙区制下では、ほとんどの選挙区で自民党候補が立候補し、公明党候補は立候補しない。そこで、自民党候補は公明党の支援を受け、その票の上積みで当選する。

 公明党票がなくても、自らの票のみで当選できる自民党候補は半数以下であろう。与野党の激戦となれば、この比率はもっと下がる。

 公明党は見返りに、「比例区は公明党に入れる」ように要求する。選挙に弱い自民党候補は、支持者に対して、公明党の要求通りのことを明言する。

 したがって、選挙のことを考えれば、自公連立の解消は、多くの自民党議員にとっては落選を意味する。

 この選挙事情を考えれば、自民党にとっても、公明党と手を切ることが簡単にできるはずはない。

 私は自公政権下で、大臣などの要職を歴任したが、選挙の度に公明党候補の応援に駆り出されたものである。地方選挙も含めると、応援回数は、公明党候補のほうが自民党候補よりも多かったのではあるまいか。

 つまり、そのような形でお返しをしなければ、自公政権は継続できないということであった。

 かつて公明党は、「どこまでも自民党についていくしかない<下駄の雪>」と揶揄されたが、今度は、その「下駄の雪」が高市に牙をむいたのである。

 しかし、今や公明党も退潮傾向にある。創価学会を中心とする支持者が高齢化しており、選挙の際の動員も十分にできなくなっている。政治とカネの問題で、公明党は自民党と同一視され、クリーンなイメージにも傷がついている。