欲望に男も女もない
松本清張が、今、英国で読まれる理由はさまざまあるだろう。同じように、日本でも読まれ続け、繰り返し映像化される理由もさまざまあるだろう。今年も『天城越え』がNHKでドラマ化されている(NHK特集ドラマ)。
ここでは「普遍性」という観点から考えてみたい。そう思うのは、最近、酒井順子氏の『松本清張の女たち』(新潮社)を読んだからである。今なお衰えぬ人気の陰に「女」あり、と女性キャラクターに注目して清張作品を読み解いた本書を興味深く読んだ。
41歳と、松本清張は作家デビューが遅かったにもかかわらず、実に多作で、1000編以上の作品を残している。手がけたジャンルも広く、芥川賞受賞作からミステリー、時代小説のほか、ノンフィクションも多数執筆している。
松本清張記念館(福岡県北九州市、写真:YUTAKA/アフロ)
松本清張記念館の入り口近くに飾られた約700冊の作品(写真:共同通信社)
そうした膨大な作品のなかでも、何度も映像化されるなどして世に広く知られている作品群がある。いわゆる「悪女もの」である。代表作は『黒革の手帖』『けものみち』『鬼畜』あたりだろうか。
銀行から巨額の金を横領し、「黒革の手帖」を武器に銀座のホステスとして成功していく『黒革の手帖』の主人公・原口元子を、時々の人気女優が演じてきた。山本陽子、大谷直子、浅野ゆう子、米倉涼子、武井咲……。誰バージョンが好きかは、世代によって分かれるかもしれない。
こうした「悪女」は昭和だったから成り立った概念だと、酒井氏は『松本清張の女たち』で指摘している。〈清張が活躍した時代は、悪女が悪女たり得た最後の時代だったのかもしれない〉と。つまり、女は男に従順であるべきとか、貞淑であるべきだといったモラルが社会に根付いていたからこそ、その枠からはみ出す清張のキャラクターは「悪女」と呼ばれたということだ。
清張が書いた「悪女」は金に貪欲であったり、性に貪欲であったりする。つまり自分の欲望に自覚的である。本来、欲望に男も女もないはずで、昭和の時代に「悪女」とされた女性はすなわち、欲望の強い普遍的な人間であった。酒井氏はこう書いている。
〈お嬢さんだからといって、全てが清いわけではない。エリートだからといって、常に正しいわけではない。どんな人の中にも、黒い欲望、黒い傷、黒い不幸が隠れている。……これは、全ての清張作品を貫く確信である。同時に全ての人々の身に覚えがある確信であるからこそ、清張作品は人々の心を掴み続けた〉
昭和的価値観が薄れたいま、かつて「悪」を付けられた女たちはむしろ、等身大の女性となった。ただし、昭和的価値観が令和現在、すべてなくなったかと言えば、そうではない。清張の「悪女」をいまなお「悪女」として読む人もいるだろう。そうした楽しみ方も含めて、黒さをむき出しにした女性キャラクターが、清張作品を変わらず輝かせている。
松本清張の初期の短編小説『女に憑かれた男』が掲載されている文芸誌(北九州市の火野葦平資料館、写真:共同通信社)