先日発表された第96回アカデミー賞では、『君たちはどう生きるか』が長編アニメーション映画賞、『ゴジラ-1.0』が視覚効果賞をそれぞれ受賞する快挙を成し遂げた。日本映画界における記念すべきオスカー初受賞は1952年の『羅生門』(黒澤明監督)だが、その他『七人の侍』『白い巨塔』『日本沈没』『砂の器』『八つ墓村』といった幾多の日本映画の傑作を生みだした脚本家が橋本忍だ。戦後最大の脚本家と呼ばれる不世出の映画人とは?

選・文=温水ゆかり

橋本忍(1977年4月当時) 写真=共同通信フォト

12年の歳月を費やして浮かびあがらせた、謎多き名脚本家の「真実」

『鬼の筆 戦後最大の脚本家・橋本忍の栄光と挫折』
著者:春日太一
出版社:文藝春秋
発売日:2023年11月27日
価格:2,750円(税込)

【ストーリー概要】

“全身脚本家”驚愕の真実!

『羅生門』、『七人の侍』、『私は貝になりたい』、『白い巨塔』、『日本のいちばん長い日』、『日本沈没』、『砂の器』、『八甲田山』、『八つ墓村』、『幻の湖』など、歴史的傑作、怪作のシナリオを生み出した、日本を代表する脚本家・橋本忍の決定版評伝。著者が生前に行った十数時間にわたるインタビューと、関係者への取材、創作ノートをはじめ遺族から譲り受けた膨大な資料をもとに、その破天荒な映画人の「真実」に迫る。全480ページ。

 

 騒動と呼ぶにはあまりに悲劇的で、事件と言うにはためらいがあるTVドラマ『セクシー田中さん』問題。1月末にこの件が明るみに出て以来、原作と脚本の関係が気になって仕方がなかった。脚本家はどんな回路で原作と対峙しているのだろう? 

 著者の春日太一さんが12年の歳月を費やして完成させた評伝で、2023年の収穫作である『鬼の筆 戦後最大の脚本家・橋本忍の栄光と挫折』を読んでみた。

 橋本忍(1918~2018年)は、映画が娯楽の王様であった昭和に、黒澤明監督との共同脚本(計7本)や、松本清張原作のシナリオのほか、『白い巨塔』や『日本のいちばん長い日』などリメイクされるたびに原典として参照される作品を手がけた名脚本家である。

 春日さんが橋本忍へのインタビューを開始したのは2012年のこと。橋本は映画史に名を刻む業績を残しながら、まとまった証言といえば黒澤明との関係に特化して書いた自著『複眼の映像』(傑作です!)があるだけで、あとは映画雑誌などに断片的な証言があるだけだった。

 映画史研究家で、日大大学院で芸術学博士号を取得した春日さんはこう考える。橋本忍には謎が多すぎる。残された時間は多くない。だったら自分でやるしかない。春日さんの取材申し込みは快諾された。

 12年前当時、春日さん35歳、橋本忍94歳。ダブルスコア以上の年齢の生きる伝説を前にして、どれほど緊張したことか。インタビューをなりわいとしてきた者として分かるような気がするが、春日さん曰く、「取材中の橋本は、まったく年齢を感じさせないパワフルさ」で語り尽くしたと言う。

 2014年までの2年間で計9回のインタビューを行い、橋本の体調の回復を待って取材は再開されるはずだった。しかし体調は戻らなかった。春日さんは橋本の没後、書斎や物置に入って創作ノートやメモに目を通すことを遺族に許される。

 この『鬼の筆』は、九十路(ここのそじ)の橋本忍が、対面で春日さんに明かした「えーーーっ」とのけぞる事実(私ものけぞりました)、『複眼の映像』における記述、映画雑誌などから採集したコメント、橋本を脚本の師とした山田洋次監督や関係者への取材、春日さんが「古文書のようだった」という創作ノートやメモなどから解読したもの。それらをジグゾーパズルのように組み合わせ、そこから橋本忍という像を浮かび上がらせたものである。

 

賽の河原で石積みをする日本人の姿を「現代の詩」に

 春日さんはもったいぶらず、巻頭ですぐに橋本ワールドのキーワードを出す。それが「鬼」。備忘録的に書かれた1961年の創作ノートに、「序~鬼の詩」としてあった。所々はしょって、その詩を孫引きする。

「人間は、生まれて、生きて、死んで行く。その生きて行く間が人生である」/「人生とは何だらう」「「賽の河原の石積のようなものである」/ところが「時々、自分達の力ではどうしようもない鬼(災難その他)がやって来て」「金棒で無慈悲にこの石をうち崩す」

「人間はそのたびに涙を流す」「体全体までが涙で充満する」/そして「また石を積み始める」/人間には「何かとても強い意志」「不思議な程に強い生命力がある」/「人間ほど素朴で、悲しく美しい」「強いものはないように思える」/「その姿を適確に描き出すことが、『現代の詩』を生み出すことではなからうか」

 これを書いたとき橋本忍40代前半。橋本にとって脚本というのは、賽の河原で石積みをする日本人の姿を「現代の詩」にすることだった。いわば日本人の叙事詩だろう。

 この稿の最初に「脚本家はどんな回路で原作と対峙しているのだろう?」と書いたけれど、原作の有無にかかわらず、橋本忍は叙事詩の構えで脚本を書いていた。これだけでも、一つの解答(脚本家の在り方)を見つけた気がする。

 私がここで、シナリオライターの在り方に関する生半可な現状論を繰り広げても仕方がないので、この先は評伝としての『鬼の筆』の面白さ、クールなようなドライなような、それでいて鉄火場の博徒のような激しさと俗気を持ち合わせた橋本忍の実像の紹介に努めていこうと思う。

 橋本は兵庫県神崎郡の鶴居という村に生まれた、女性に間違えられそうな名を男児に付けたのは祖母だったという。生いたちでひどく印象的なのは、この祖母が忍少年にせがまれ、何度も語り聞かせた「生野騒動」の顛末である。

 明治初期、年貢半減を訴え、竹槍で武装した農民達が生野県庁を襲撃する。役人も無傷ではいられない、役人の血で池は赤く染まり、一揆を起こした村人達も次々と斬首の刑に処せられた。

 遠くに飛ぶ生首、目の前に落ちる生首。その光景を村人達が茫然と見守る中、結婚間もない若妻が夫の遺骸もとに駆け寄り、両先端を鋭く尖らせた棒を首と胴に差し入れ、一つに繋ぐ。棺桶に夫を入れると、男達に担がせ立ち去っていったという。

 創作民話ならぬこの実録講談を、祖母は毎回こう締めくくった。「昔は一揆をしたら首を斬られるが、願いの一部は聞いてもらえた。けど明治政府は首を斬るだけで、願いは一切合切聞きやせん。先にいきゃあいくほどムゴうなる、それがこの世じゃ」

 終始血なまぐさいこの顛末を恐ろしい思いで聞きながら、それでも忍少年はしつこく祖母にねだるのをやめられなかった。橋本は春日さんにこう話す。

「生野騒動の最後は一番不条理になるんだよね。普通の話じゃない」「僕の書いてきた脚本も、これすべて異常な事件でしょう。普通の出来事じゃない」「僕が書いてきたのは」五つ、六つのときに刷り込まれたこの不条理劇のバリエーションだ。ハッピーエンドにしたくても「ならんのだよ」。

 九十路に入って歩んできた道を見晴るかせば、遠近法で遠くに集約する一点に、祖母の語り聞かせがあったことに気づかされたということだろう。小料理屋を営んでいた父が、芝居の興行にも乗り出し、楽屋に出入りして化粧する役者達が別人になる様を見ていたのも、橋本が芸能に魅せられたワンダー(驚異)体験だったようだ。