1923(大正12)年9月1日、首都東京を未曽有の震災が襲ってから100年。今年の江戸川乱歩賞受賞作は、その関東大震災の1年後が舞台です。9月おすすめの本は、100年前と現在の相似にも思いをはせながら読みたい一冊をご紹介します。

選・文=温水ゆかり

関東大震災の1年後の鳥取を舞台にした「郷土ミステリー」

『蒼天の鳥』
著者:三上幸四郎
出版社:講談社
発売日:2023年8月23日
価格:1,925円(税込)

 応募原稿を読む仕事をしていると、時々「郷土文学」とでもいいたくなる投稿作に出合う。郷土に埋もれた“底光りする人”を再発見する場合もあれば、史実をベースに歴史的な事件を深掘りするケースもあるが、いずれにしてもそういった郷土文学が楽しいのは、書き手がその土地をよく知る歩幅で書いていることだ。

 今年の江戸川乱歩賞受賞作である『蒼天の鳥』は、『名探偵コナン』や『電脳コイル』、TVドラマ『特捜9』などの脚本家として知られる鳥取県米子市出身の三上幸四郎氏が、関東大震災の1年後の鳥取を舞台にした「郷土ミステリー」である。

 と、書いて全体を説明したことになるのなら簡単なのだけれど、当時の世相がよく描き込まれて奥行きは深く、ミステリーとしての結構を超える何事かを感じずにはいられない(後述)。

 物語の前景にあるのは、レトロな道具立ての探偵ものである。関東大震災の翌年、大正13(1924)年の鳥取駅舎からお話は始まる。蒸気機関車が走り、待ち合わせのカフェーでは白エプロンを着けた給仕が珈琲やカルピスを運び、チケツ(切符)を買って入る劇場は板張りで、三角屋根をちょこんと乗せている。そんな時代だ。

 主人公の田中古代子(こよこ)は、娘の千鳥の手を引き、西の気高郡から胸躍らせ、鳥取駅舎の石畳のホームに降り立つ。12年前の15のとき、父に連れていってもらうはずだったフランス製の活動写真「探偵奇譚ジゴマ」。変装名人のジゴマがZ団を率い、盗み、放火、殺人とあらゆる犯罪に手を染め、パリ中を恐怖に陥れる。この大怪盗と相対するのは名探偵ポーリンだ。

 古代子がこの活動写真を見逃したのは、ジゴマのZ団を真似て悪さを働く少年少女が続出したため、当局が鳥取への巡回が始まる寸前に禁映品にしてしまったからだった。当時壮健だった父はもういない。でも自分には可愛い千鳥がいる。千鳥ははしゃぐ。「ジゴマ、Z組、ポーリン。たのしみだね、母ちゃん」。

 カフェーで会った翠は、帝都ではもう誰もこの活動写真のことは口にしないと言っていたけれど、積年の募る思いで観る活動写真は、アコーディオンやヴァイオリンなど楽士を従えた弁士の歯切れの良さもあって、やはり大迫力の冒険活劇だった。

 悪漢ジゴマの登場、変装を見抜くポーリン、頭巾をとって耳まで口が裂けた凶相を露わにするジゴマに観客はいっせいに息を呑むが、前編のこのクライマックスで古代子はふと異変を感じる。鼻先をつく煙のにおい。「火事だ!」。

 なんと焼け落ちる銀幕の向こうから生身のジゴマが現れ、母娘の隣の枡席にいた若い男を短刀で刺す。「母ちゃん、こっち!」。千鳥の声に導かれ、ふたりは逃げ出す。外に転がり出て近くの川の土手に倒れ込んだときは全身の震えが止まらず、顔は煤と土と涙でぐちゃぐちゃだった。

 千鳥が叫ぶ。「あいつは私と母ちゃんを殺そうとした。あれが本当のジゴマなら、私と母ちゃんは名探偵ポーリンだ」「ふたりでジゴマと戦うんだよ!」。命からがら自宅に戻った二人はまたもやジゴマ一味に襲われ、そして第二の殺人、第三の殺人が起こる……。