主人公は女性作家の母娘。実在の人物達が活き活きと躍動

 冒頭に「郷土ミステリー」と書いたのは、田中古代子も千鳥も実在の人物だからだ。

 古代子は平塚らいてうや与謝野晶子らが提唱する“新しい女”の潮流を汲んでいた。17歳のとき、新聞に投稿された女性蔑視の一文に抗議する投稿をし、米子の新聞社初の女性記者になるも、その投稿男性と結婚、退職する。たとえ意見が正反対であっても、女性と対等に論議する男性というのが好もしかったのかもしれない。

 古代子はハタチで千鳥を産む。しかし結婚生活はうまくいかず(やっぱり……)、千鳥を連れて気高郡の実家に戻る。持病の気管支炎に苦しみながらも必死で文章を綴り、大阪朝日新聞の記念懸賞小説に応募。選外佳作となり、再び同じ賞に応募して二席に。

 選者の有島武郎に「一席にもまさるとも劣らない」と絶賛されたその『諦観』は、障碍者の弟がいる姉の鬱屈と爆発を描いてすさまじい。帝都にのぼって、確固とした女性作家になる。これが古代子の夢だった。

 そして千鳥も小さな詩人だ。「木の葉の おちた かきの木に お月さまが なりました」。平成に復刻された7歳半のときの詩集は、自由な発想が素晴らしく、韻律も見事。現在では母より、娘の方が有名かもしれない。

 夏目漱石、芥川龍之介、内田百閒など、文豪が登場するミステリーはそこそこあるけれど、そのジャンルに限定すれば、古代子と千鳥は史上最も知名度の低い探偵だろう。

 実在の人物はほかにもいる。カフェーで待ち合わせた翠は、古代子と地元の文芸同人誌を通じて親しくなり、のちに文学史の中で孤高の異彩を放つ『第七官界彷徨』をものした尾崎翠である。

 事件が起きたとき、帝都に大震災後の混乱の様子を確かめに行っていた古代子の内縁の夫・涌島(義博/のちに入籍)も、また実在の人物。涌島は上京後、大正15(1926)年に南宋書院という社会主義文献を扱う出版社を興した。

 これら実在の人物達が、随所でそれぞれの個性を発揮し、そのシーンが活き活きしているのが本書の美点だ。例えば、尾崎翠は古代子から同人誌に載せる原稿を見もせず預かるが、「内容を確かめなくていいの?」という古代子に対し、こう言ってのける。

「いいよ、どうせ女の自立だとか、女の地位向上とか書いてるんだろ。あんたの文章は熱くるしくていけん(中略)ギラギラしとる」。吹き出す。いまで言えば、友人が意識高い系の友人をからかっているといったところだろうか。

 千鳥に、火事になる前に見たことを思いだしてごらんと促した涌島は、弁士が唄ったZ団の唄を賢い千鳥が復唱すると、しばらく考え込んだのち「ゴルキー(編注/ゴーリキー)だ」とつぶやく。

『どん底』の中に出てくる労働歌の一種だった。それに気づいたのは、涌島が社会主義を信奉するコミュニストで、大杉栄や堺利彦が発足した日本社会主義同盟にも参加していたからだった。

 1910年の大逆事件以降、政府の弾圧姿勢はますます苛烈になり、関東大震災では流言飛語によって多くの朝鮮人が殺されたと同時に、社会主義者達も標的になった。前者は民間人の犯罪だが、後者は軍人による犯罪である。大杉栄は恋人の伊藤野枝、甥っ子の橘宗一少年(大杉の息子と勘違いされた)とともに、甘粕大尉によって“処刑”され、遺体は井戸に放り込まれた。

 その点、堺利彦は運を拾った。関東大震災の3カ月前、堺ら50余人の社会主義者達がいっせいに検挙され、彼らは市ヶ谷刑務所の未決監に拘留されていたのだ。外にいれば大杉同様に堺もやられていた。甘粕の聴取書には「最初は大杉栄の外(ほか)堺利彦 福田狂二をも殺害する積りでありました」とあったという(故黒岩比佐子氏の労作にして傑作『パンとペン』より)。

 涌島は当然その辺りのことには詳しかったはず。ジゴマの正体は? ジゴマの真の目的は? 少女探偵千鳥のワトソン役として、事件を見通す涌島が冴えるのは、世相に敏な彼の経歴あってのことに違いない。

 

大正末期の人々の先にある消失点は、「現在との似姿」

 遠近法で描いた絵画には、消失点というものがある。前景で描いたものが遠くの一点に集まる。そこが描いた人の視線の位置になる。本書の前景にあるのは、フランス製の活動写真に端を発する怪人事件だけれど、大正末期のただ中にある人々の先にある消失点として私が感じ取ったのは、「現在との似姿」だった。

 近頃出た『関東大震災 その100年の呪縛』(畑中章宏著 幻冬舎新書)には、民俗学者ならではの通史の視点があって面白い。「関東大震災によって生まれた大衆の保守ナショナリズムの情動は、戦争へと続く軍国主義と結びついた」と。柳宗悦の民藝運動も日本回帰の情動の一つだったという指摘は、新鮮な驚きだった。

 関東大震災から14年で、日本は日中戦争(1937~45年)へ、続く太平洋戦争(1941~45年)へと突っ込んだ。東日本大震災(2011年)から12年、現在の「情動」はあまりにも100年前と似てはいないだろうか? その後を書く本書の「終局」(エピローグ)が、日没前の夕暮れのもの哀しさの中に読者を佇ませる。

 重いことを書いてしまったので、めっちゃ子供じみた視点で本稿を終わりたい。著者の幸四郎というお名前、私はマジで冗談(筆名)かと思いました。本書で尾崎翠は千鳥に、「推理には“第六官”(編注/第六感)を使うんだよ」と教える。

 尾崎翠の代表作『第七官界彷徨』の登場人物名は、兄弟の一助と二助(語り手である小野町子は彼らの妹)、従兄弟の三五郎、町子が自分の好きな女流詩人に似ているとして「くびまき」を買ってくれる浩六と、出てくる数字が一,二、三、五、六。第七官界までのハシゴに四が欠けている。そこに幸四郎(さん)ですもん。

 第七官界までの階段、埋まりました!