久しぶりの祭りや花火に日本ならではの風情を再認識した方も多かった今年の夏。文学界の夏の祭りともいえる芥川・直木賞の上半期発表も行われました。8月おすすめの本は、江戸文化と風俗、そして人情を心から味わえる、話題の直木賞受賞作です。

選・文=温水ゆかり

写真=フォトライブラリー

薫風に吹かれるかのような読後感を味わえる、人間賛歌のミステリー

『木挽町のあだ討ち』
著者:永井紗耶子
出版社:新潮社
発売日:2023年1月18日
価格:1,870円(税込)

 何者でもない(と見なされる)者が、語り始めると、くっきりした輪郭を持つ何者かになる。今期(第169回 2023年上半期)の直木賞受賞作『木挽町のあだ討ち』は、そんな人間賛歌のミステリー。薫風に吹かれるかのような読後感だ。

 睦月晦日(一月末日)の雪降る晩、木挽町の芝居小屋森田座の裏通りでの出来事である。

 小屋から粋な三味線の音が漏れ流れてくる中、唐傘から目にも鮮やかな赤い振袖をのぞかせ、逢引きの相手でも待つかのような風情で若い娘が佇んでいる。そこに、やって来た身の丈六尺(約182センチ)の大男。

 ちょっかいを出そうとした大男が娘の腕を引くや、娘は振袖をはらりと脱ぎ捨て、男に投げつける。現れたのは年のころ十五、十六、白装束に身を包んだ白皙の美少年。この若衆は抜いた大刀を正眼に構え、居合わせた野次馬達にも聞こえるよう、これは仇討ちであると言挙げし、体格の差もものともせず剣を交え始める。

 若衆がひらりひらりと身をかわすうち、大男の息が上がり、その時を待っていたかのように刀が勢いよく袈裟懸けに振り下ろされる。雪の上に咲く鮮血の花。若衆は倒れた男に馬乗りになってとどめをさし、血まみれの首級(しゅきゅう)を高々とかかげる。

 本懐を遂げた前髪の若衆は、水上の伊納清左衛門が一子、菊之助。大男の名は作兵衛。伊納家の下男でありながら、主の清左衛門を殺めて逃亡、江戸に流れて博徒になっていた。

「父の仇、作兵衛。討ち取ったあり」

 菊之助は高らかに謡うと、首級をかかえて駆け出し、闇に姿を消したと言う。

 それから二年後——、参勤交代のお供で水上から江戸にやってきた若きお侍が、この仇討の委細を改めて聞かせてほしいと、菊之助が身を寄せていた森田座の人々の間を訪ね歩く。御年十八、菊之助に負けず劣らず凛々しいこのお侍の狙いはなんなのか。

 この仇討ちにはナニカアル。これが本書のミステリー部分だ。