昨年NHKでドラマ化された男女逆転『大奥』(よしながふみ原作)で、アカデミー賞俳優・三浦透子が演じて話題となった第九代将軍 徳川家重。第170回直木賞にもノミネートされた『まいまいつぶろ』は、重い障碍によって「暗愚」と蔑まれた家重と彼を支え続けた人々の約三十五年間を描く。寒い冬の夜、史実の羽を広げた心温まる男達の大逆転劇を。

選・文=温水ゆかり

写真=フォトライブラリー

日の当たらない人間や場所に常に目を向ける不屈の逆バリスト

『まいまいつぶろ』
著者:村木嵐
出版社:幻冬舎
発売日:2023年5月24日
価格:1,980円(税込)

【ストーリー概要】

 暗愚と疎まれた将軍の、比類なき深謀遠慮に迫る。口が回らず誰にも言葉が届かない、歩いた後には尿を引きずった跡が残り、その姿から「まいまいつぶろ(カタツムリ)と呼ばれ馬鹿にされた君主。第九代将軍・徳川家重。しかし、幕府の財政状況改善のため宝暦治水工事を命じ、田沼意次を抜擢した男は、本当に暗愚だったのか——? 廃嫡を噂される若君と後ろ盾のない小姓、二人の孤独な戦いが始まった。第12回 日本歴史時代作家協会賞作品賞、第13回 本屋が選ぶ時代小説大賞受賞

 

 今月のこの『まいまいつぶろ』で著者の村木嵐さんがスポットを当てているのは、徳川第九代将軍の徳川家重。約二百五十年にわたって徳川政権を繋いだ将軍十五代の中で、ワースト投票を行えば、トップ3入りの堅い将軍である。

 生まれるときにヘソの緒が首に巻き付いたと言われる家重には、重い障碍があった。麻痺した片手片足はほとんど動かず、喉から出る音も意味のある言葉にならない。尿意のコントロールもきかず、漏らした尿(ゆばり)がまいまいつぶり(カタツムリのこと)の這った跡のように濡れて臭った。

「小便公方(くぼう)」とあだ名され、意思疎通ができないことから「暗愚」と呼ばれる。江戸学の始祖とも言うべき三田村鳶魚(1870~1952年)などは、家重のことを「ほとんど廃人」と評していたらしい。

 それは、あまりにひどい。と、村木嵐さんは憤慨したに違いない。名君だったかもしれないじゃないか。これを「逆張り」と言うなかれ。作家はその日の風向きで逆張りのポジションを変える風見鶏ではない。日の当たらない人間や場所に常に目を向ける不屈の逆バリストが、作家の本質である。

 家重は衆人環視の中、尿を漏らしてしまう屈辱に耐え、白湯の一杯すら飲みたいと伝えられない苛立ちから癇癪をおこすこともあった。しかし、彼には彼の世界があったはず。愛や無念や祈りや夢も。本書はそんな世界を優しく、時代小説ならではの想像力で濃やかに描き出す。

 

摩訶不思議な出来事の委細を語るドラマティックな冒頭

 大岡裁きで知られる四十代後半の大岡越前守忠相(ただすけ)が、家重の乳母である滝乃井を待つ場面から本書は始まる。

 滝乃井は、長福丸(ながとみまる/家重の幼名)様の御言葉を聞き取る少年が現れたと興奮して語り、長福丸様があのような嬉しそうなお顔をしているのは見たことがないと感激の涙を流し、その者を小姓に取り立てると言う。

 少年の名は大岡兵庫。滝乃井によれば、大岡忠相の遠縁に当たるとのこと。忠相自身は戸惑う。長福丸には幾度か拝謁したことがあるが、口から漏れるのは「あ」や「え」の混じったうなり声のようなもので、あれを言葉として聞き取る者がいるとはとうてい信じられない。

 しかも滝乃井によれば、兵庫とやらは三百石の小倅。とても小姓に上がれる家柄ではない。吉宗に抜擢され、三奉行の一つである江戸町奉行として改革の途上にある折、たばかったその少年に連座して失脚などさせられたらたまったものではない。機知と人情の大岡越前も、ここでは存外“保身の人”なのである。

 その夕刻、困惑顔で忠相宅を訪ねてきた若年寄の松平能登守乗賢(のりかた)が、自分の眼前で起こった摩訶不思議な出来事の委細を語るシーンはとてもドラマティックだ。

 特別にビンボー旗本の子弟ばかりを集めた御目見得の日、またもや尿意をこらえきれなくなったのか、長福丸は何かごにょごにょ言い捨てて広間を去ろうとする。すると、前列にいた少年が頭を上げ、長福丸をまっすぐ見つめて「将棋がお好きでございますか」と言ったのだという。

 続くやりとりはこうだった。長福丸(ごにょごにょ)——兵庫「もちろんでございます。なにゆえそのようにお尋ねでございますか」——長福丸(ごにょごにょ)——兵庫「(満面の笑みで)畏まりました」——乗賢を指しつつ長福丸(ごにょごにょ)——兵庫「(目をぱちくりさせて)畏まりました」

 その日奏者番を務めていた乗賢は、兵庫を居残らせて長福丸のごにょごにょの部分を知る。「どうせ将棋をさせる者などおるまい」(お好きですか)「私の言葉が分かるのか!?」(もちろんです。なぜそのようなお尋ねを)「次はそなたが将棋の相手をせよ」(畏まりました)。

 かつ、長福丸が乗賢を指しながら言ったのは「私の言葉が本当に分かるならば、この奏者番に、長福丸自らが、そなたを小姓に任じたと申せ。そうすれば私はもう一度、そなたに会うことができる」というものだった。直々に小姓に取り立てられた兵庫の目がぱちくりとなるのも、無理はない。

 長福丸は乗賢の名前、乗賢が去年の三月から若年寄を務めていること、美濃国岩村藩二万石の主であることなど、人物データも言い残していったという。

 乗賢は兵庫の話を聞いて茫然とする。旗本の小倅ごときが、私が若年寄に任じられた月まで知っているはずがない。そこのことからも、とっさの作り話ではないことは明々白々。しかしそのことが逆に自分を困惑させる、と。