アジアン・レストランの実体験をベースにした物語
──外国には「えせ」「偽物」と言いたくなるようなアジア料理店や日本食レストランが数多くありますが、『アジアン・レストランの舞台裏』では、そうしたアジアン・フュージョン・レストランの中で起きていることが描かれています。この物語では、外国人の持ついい加減で雑多なアジア観が、むしろ、ややまともなアジア観に変貌していくことにどこか寂しさを覚えるという、非常に不思議な感覚を引き出されます。
ブレイディ:物語の背景には実際にイギリスのアジアン・レストランで働いた私の実体験があります。私が最初にイギリスに移り住んだのは80年代でしたから、当時はまだ「なんじゃこりゃ」と言いたくなるような、異常に勘違いされた形でアジアや日本の文化が取り入れられる場面に数多く出会いました。
最初はよく分からないから、「エキゾチック」という感覚で海外のものを取り入れ、好き勝手に面白おかしくアレンジして楽しんでいますが、その国の移民が増えてくると、次第にオーセンティックなものを提供するようになる。この変化は移民が増えて自分たちのコミュニティをそこで作り始めるから可能になることです。
すると同時に、面白がって眺めていたその国の人たちの顔から笑顔が消えていくというか、「移民が増えてきた」「勝手にコミュニティを作り始めた」と警戒する不穏な空気になる。それが、自分が働いていたアジアン・レストランの中でまさに起きていたと思い出してこの物語を書きました。
──私も海外に長く住んでいたので、外国に住むという感覚がこの作品には見事に描き出されていると感じました。日本で思い描く外国生活と、実際にそこに移り住んで見える外国生活はかなり違い、その落差に最初は戸惑いますが、この物語の主人公はそのわけのわからない現実を受け入れて、あるところで変身しますよね。ブレイディさんにもそういう瞬間がありましたか?
ブレイディ:まさにそういう瞬間を描きました。チャイナドレスを着せられた話は実話です(笑)。海外の方々が望む東アジアの女性を演じたほうが楽だったりします。欺きながら陰でこっそり舌を出していればいいわけですから。
でも、やっぱりそれは違うとどこかで感じてしまうというか、委ねられない部分がある。そこで委ねてしまう人もいるのでしょうね。それが自分の身を守るということなのかもしれません。
イギリスもトランプ現象の後を追っているところがあって、反移民運動が最近活発ですが、やっている人たちを見ると、白人だけでもなくて、この国に長く住んでいる移民の方などもいて、そういうことがよく報じられます。それはもしかすると、その国の意向に合わせることに身を委ねてしまっているのかもしれません。そう感じると、悲しく思えたりします。