青森市の三内丸山遺跡(写真:共同通信社)
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 私たちは、原始の世界や古代文明に自分たちのアイデンティティのルーツを求める。日本を理解するためには、日本人の原点に立ち返らなければならないと考える。しかし、古代史をいかに読み解いて理解するかにはさまざまなバリエーションがあり、その解釈はときにイデオロギーに取り込まれる。古代史をめぐってどのように思想が語られてきたのか。『縄文 革命とナショナリズム』(太田出版)を上梓した東京科学大学リベラルアーツ研究教育院教授の中島岳志氏に聞いた。(聞き手:長野光、ビデオジャーナリスト)

右派でもあり左派的でもあった安倍昭恵氏

──なぜ縄文について本を書かれたのでしょうか?

中島岳志氏(以下、中島):きっかけを遡ると20年以上昔の話になります。私が最初にこの本のテーマに気づいたのは、俳優の窪塚洋介さんに注目した2000年代前半のことです。

 窪塚さんは『GO』(2001)という映画に出演したあたりから、急速にナショナリズムに目覚めたかのような印象を与える発言が多くなりました。その後、彼が出演した『凶気の桜』(2002)にも、渋谷で「フェイク・ジャップ」と呼ばれる人たちを叩き潰していく場面があり、どこか真の日本人像を追い求める物語設定の映画です。

 窪塚さんは、ナショナリズムへ傾倒した後に、スピリチュアリティへと傾斜していく時期がありました。彼は自宅マンションから飛び降りる事件を起こしましたが、その直前が、まさにそうしたナショナリズムとスピリチュアリティがミックスされた状況でした。

 私は当時「窪塚洋介と平成ネオ・ナショナリズムはどこへ行くのか」という論考を書きました。

 1990年代以降、「新しい歴史教科書をつくる会」や小林よしのりさんの書いた『新ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』(幻冬舎)など、従来の歴史認識に問題を提起するような動きが起きました。その中でナショナリズムが高揚し、中国をはじめ近隣諸国に対する反発へと発展していく流れがスピリチュアリティと合流し始めていた。2000年代の初頭に、そのことに気づいたのです。

 2015年初頭から、森友学園問題が盛んに報道されるようになり、安倍昭恵夫人に注目が集まりました。現に、昭恵さんは大阪市にあった塚本幼稚園で、園児たちが教育勅語を暗唱している様子を見て涙を流していた。右傾化していると評された安倍内閣が論争になる中で、総理夫人がそうした学校と深く関わっていた。昭恵さんは一見すると右派を象徴する存在でした。

 一方で、昭恵さんは脱原発派でしたし、東北の自然を考慮して気仙沼市の巨大防潮堤建設に異議を唱え、反対運動に加わってもいました。さらに、オーガニック食品などを推奨して、無添加・無農薬・純国産の食材にこだわった居酒屋を経営していた。こうした彼女の振る舞いは左派的に映ったため、世の中は混乱しました。私は、この時に「ナチュラルとナショナル 日本主義に傾く危うさ」という論考を書きました。

 ナチュラルとナショナルが合流する現象は、実はそれ以前からありました。そして、戦前期の農本主義を掲げた日本の超国家主義とも接続する1つの大きな流れがあるのではないかと考えたときに、その核に「縄文」というテーマが浮上してきたのです。

 窪塚さんや昭恵さんと関わりの深い人たちは縄文時代を礼賛します。「自然とつながったスピリチュアリティを持つ真の日本人」という世界観を通して、人々は縄文に何を仮託してきたのか。本書では、そうした問題意識に迫りました。

──芸術家の岡本太郎と縄文土器との出会いについて書かれています。岡本さんはなぜ縄文土器に惹かれたのでしょうか?