記者会見で自民党との連立枠組みからの離脱を表明した公明党の斉藤代表=10日午後、国会(写真:共同通信社)
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公明党が自民党との連立解消を決めたことで、政界が一気に流動化してきました。ポスト石破政権や自公による選挙協力も見通せなくなっています。公明党は1999年から26年間、野党時代の一時期を除いて自公政権を担っていましたが、そもそもどんな政党なのでしょうか。その誕生から現在までを振り返りつつ、「公明党」をやさしく解説します。

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連立解消の衝撃

 今回の公明党の連立解消は、企業・団体献金の規制強化について自民党が明確な態度を示さなかったことが理由とされています。政権離脱を決めたこの10月10日、同党の斉藤鉄夫代表は記者団に対し、「企業・団体献金の規制強化は1年以上前から主張していたのに、自民党はいつも『検討する』だった。今回の回答も『検討する』だ。政治への信頼回復のポイントの政治とカネについて大きな前進がなかった」と強調しました。

 そのうえで、自公連立を継続することには下部組織や支持者が強い懸念を持っていると表明。「連立の大義を支持者に伝えてきたが、(公明党側が)自民党の不祥事を説明することに限界が来ている」と述べたのです。

 公明党は、1999年10月に自民党と連立を組み、「自公政権」として日本の国家運営に関与してきました。あれから四半世紀。民主党政権下(2009年9月〜2012年12月)で野党となっていた時代も含め、公明党は常に自民党と密接な関係を築いていました。

 その蜜月関係に今回、公明党は自ら終止符を打ったのです。自公連立・自公協力が当然の景色だった40代半ば以下の有権者にとって、今後は見たことのない政界の風景が展開されることになります。

 もっとも、自民党とタッグを組む前の公明党は「反自民」の有力な勢力であり、一時は日本社会党(現・社民党)などの革新勢力と手を組んだこともありました。公明党には、仏教団体「創価学会」から誕生したという特色もあります。

 結党からの歴史を振り返りつつ、公明党とはどんな政党なのかを見ていきましょう。