エピソード2:2着馬との着差合計61馬身

 生涯戦歴8戦8勝。2着馬につけた着差はレース順に次のとおりです。①大差、②9馬身、③鼻、④大差、⑤2馬身1/2、⑥7馬身、⑦7馬身、⑧10馬身。

 2着との差の合計は61馬身。ただし全8レース中の③と⑤は訳あってまともに走らず(後述)、残りの6レースでの着差は平均して10馬身近いという前代未聞の強さ。まさにエンジンが違う「スーパーカー」と称された所以です。

エピソード3:2着馬との差を広げず、他馬がタイムオーバーとならないように配慮

 前記のレースで、③は中野渡清一騎手が「馬に負担を与えないよう楽に勝とうとした自分の油断が招いた失態。負けたらとんでもないことになっていた」と告白、⑤は出走頭数が少なくレース不成立になる可能性があったところ、ある調教師が2頭出走させ5頭立てのレースが成立、ただしマルゼンスキーとの着差が4秒以上あるとタイムオーバーでペナルティーを課せられるため、マルゼンスキーの中野渡騎手は馬の力をセーブさせ2着馬との差を2馬身1/2に抑えた結果でした。  

 大差で勝ったレースより、鼻差と2馬身1/2差のレースを語ることがこの馬の強さを象徴しているような気がします。

エピソード4:1レースの平均出走頭数の少なさ

 前述のとおり、マルゼンスキーが出走するともうお手上げとばかりに回避する馬が多くいたため、全8戦での出走総数は50頭、1レース平均は6.25頭立て。ダービーが28頭立てだった時代に、マルゼンスキーに10頭以上のレース経験はありませんでした。

エピソード5:レース中に失速しても勝つ

 日本短波賞(現在のG3「ラジオNIKKEI賞」)では単勝馬券が100円元返しとなりましたが、重賞級レースで元返しとなった例はマルゼンスキー以降、ディープインパクト(2005年、菊花賞)しかいません。

 また、このレースでマルゼンスキーは3コーナーあたりでなぜか失速、10馬身近く遅れていた後続馬が追いつくとそこから再び加速、結局ゴールでは2着馬に7馬身の差をつけて圧勝。あのまま失速せずに走り切っていたら、いったいどのくらいの着差になったことでしょう。このときの2着馬は後の菊花賞馬、プレストウコウでした。