東北の中学生に広島の大人が学ぶ

 そんな感じの問いかけをしたりしながら、彼らと対話した1時間。「広島での平和学習」と聞いて、私がイメージしていたものとはだいぶ違った。原爆や戦争のこと、被爆者のこと、そういったことを知りたいのだと勝手に想定していたので、思いもよらぬ変化球を受けた気持ちになった。

 そして、「広島にやってくる子どもたちの目的は、原爆や戦争について教わること」などと決めつけていた自分が、とても恥ずかしくなった。「知る」「教わる」だけでなく、自分たちの頭で「考える」ためにはるばるやってきてくれた彼らの期待にしっかり応えられたか自信がないが、学びにきた彼らから、むしろ私が学んだような気がした。

「平和な社会を作るために、自分が生きる地域で何ができるのか」。彼らが携えてきたその問いが、自分自身が考えるきっかけになった。彼らの問いに答えることで、自分の頭の中にある問題意識が少しずつ整理されていくような気がした。

 80年前の原爆の惨禍を経験した広島の使命は、核兵器の恐ろしさを国内外に広く伝えていくことだ。ただ、それだけでいいのだろうか。

(写真:Maximilian Bieber/Shutterstock)

 自ら「平和都市」を標榜するのであれば、自分たちの求める社会を決めるプロセスを、誰かに丸投げしたりするのではなく、より多くの人が参加した対話と議論によって自分たちで担っていく、その姿をどこよりも示していなければならないのではないか。選挙、ひいては民主主義をないがしろにするなんて、もってのほかではないだろうか。

 ただただ恥ずかしいこの恒常的な低投票率問題を解決しなければ、広島が訴える「平和」も説得力を失わざるを得ないような気がしてならない。