むしろ、大谷と比較するのであれば、ベーブ・ルースは「野球を変えた」という点で通じる部分がある。

 一世紀前のMLBは「球聖」タイ・カッブに代表されるように「打って走る」スピード野球が全盛だった。野球の華は塁上を全速力で駆ける三塁打だとされ、たまに出るホームランは試合の緊張感を途切れさせる「あだ花」のようなものだった。

 そんな時代にルースは、次々と大空にアーチをかけてホームランを「野球最大のエンタテインメント」に押し上げたのだ。この時期、MLBでは野球賭博にまつわる「ブラックソックススキャンダル」が起こり、信用は地に堕ちていた。ルースのホームランはそういう暗雲をも吹き飛ばし、球場に子供や家族連れなど新しいお客を誘引した。

 一方の大谷翔平は、投手も野手も高度に「分業化」が進んだ21世紀のMLBにあって、「投げてはエース」「打ってはスラッガー」という草野球のような活躍を「実際にやって見せた」という点で「歴史的な存在」だ。そして彼の大活躍で、日本のみならず韓国、台湾など東アジアのファンが、MLBに注目するようになった。

「歴史的な存在」ということならベーブ・ルースと大谷翔平を比較することに、筆者は異論がないのだ。

もう一人の二刀流の先駆者「景浦將」

 実は、大谷翔平に似た「二刀流」の選手は、草創期のNPBにこそ先例がある。その代表格がタイガースの主力選手だった景浦將だ。

立教大学野球部時代の景浦將選手(写真:共同通信社)

 景浦は1937年春(当時は2シーズン制)に47打点で打点王、秋に打率.333で首位打者になる一方で、36年秋には防御率1位、37年春には11勝を挙げている。

 戦前の職業野球は選手数も少なく、投手野手を掛け持ちする選手も珍しくなかったが、投打で景浦ほど傑出した成績を上げた選手はいない。

 景浦は、応召して1945年5月に戦死した。大谷翔平は、戦火の犠牲になった「初代ミスタータイガース」景浦將の「夢を受け継いだ」と見ることもできるのではないか。