歴代日本人メジャーリーガーが身につけられなかった「長打力」

 もう一つ、筆者が大谷翔平を「歴史を作った選手」だと思うのは「日本野球の限界を打破した」という点だ。

 今に続く日本プロ野球は、1936年、読売新聞の正力松太郎が創設した「職業野球」が淵源だ。正力は創設時に「アメリカ大リーグに追いつき、日米で真のワールドシリーズを行う」ことを目標に掲げていた。

 以後、今に至るまでNPBはMLBの背中を追いかけてきたと言える。

 当初の実力差は非常に大きく、アメリカでマイナーリーグしか経験しなかった選手が、日本で無双の働きをするケースがしばしばあった。

「日本人メジャーリーガー」は、夢のまた夢だった。1964年に南海ホークスからMLBジャイアンツのマイナーに「野球留学」していた左腕投手の村上雅則がメジャーデビューして、初めて日本人メジャーリーガーが誕生したが、2人目の野茂英雄が登場したのはそれから31年後の1995年のことだった。

 野茂の登場以降、NPBからエース級の投手が次々と挑戦し、多くの投手が一線級の成績を上げた。NPBの一線級の投手はMLBでも通用することが証明された。

 野手は挑戦する選手がなかなか出なかったが、2001年、オリックスのイチロー、阪神の新庄剛志の2人がMLBに挑戦。イチローは1年目から首位打者、最多安打、盗塁王、新人王、MVPとタイトルを総なめし「野手もMLBで通用する」ことを証明したかのように思われた。

 しかし、それ以降、MLBで大活躍する野手は出なかった。

「ON以降の最強打者」と言われた松井秀喜は、名門ヤンキースで中軸を打ったが打撃タイトルには手が届かず。本塁打は31本が最高。NPB時代を大きく下回った。

 松井が2004年に記録したこの「31本」が長くNPB出身日本人選手の「最多本塁打記録」になっていた。

 スピードや安打を打つ技術はともかく、長打力では日本人にはアメリカ人には到底かなわない。日本は1990年代までMLBの標準(両翼100m中堅122m)より小さい球場(両翼90m中堅115m)でやってきたからパワーが身につかなかった、と思われてきた。

 大谷翔平は、栗山英樹監督の理解もあって、2012年に日本ハムに入団した時から「投打の二刀流」だった。また大谷は入団時から「いずれはMLBに挑戦する」と公言、本人、球団ともにNPBはMLB挑戦の「ステップ」という認識だった。

 果たして2017年オフにMLBに挑戦したが、大谷はMLBでも「二刀流」を貫いた。大谷がどんどん結果を出したので前述のようにMLB側が「TWP」という新たなポジションを設けるに至った。