フォークリフトは50歳でクビになった

 Aさんは中学を卒業してすぐに働き始めた。父親は瓦職人だったが、「お前は背が低いから向いてない」と言われ、跡を継がなかったという。

 最初に勤めたのはパン屋、その後は精肉の卸会社に正社員として勤めた。買い付けた牛や豚の塊を飲食店などに卸す仕事で、キツイ肉体労働だった。

「牛骨や豚骨の塊を、中華料理店なんかに持って行くんですよ。一つ40万円とかでね。朝も早いし、夜は遅いし、肉の塊は重かったけど10年勤めた」

 その後は東京都清掃局にアルバイトで入りごみ収集。40歳になる頃から派遣会社に登録。ちょうど小泉改革で非正規雇用が増えはじめ、派遣会社が乱立した頃だ。

 Aさんは派遣先でフォークリフトの免許を取り、川崎や蒲田、新木場などの物流倉庫で荷物を運搬した。

「フォークに乗せる荷物は、自分でパレットに乗せなくちゃいけない。スゲー重いんですよ。ドリンクとかそういうのばっかりだから」

 フォークリフトは10年ほど乗っていたが、50歳頃になると仕事がパッタリとなくなった。

「年のせいかな。フォークの仕事を断わられるようになって。今も本当はフォークに乗りたいんです。日当が1日あたり5000円くらい違うから。でも、年齢不問の求人でも断わられる。派遣会社に頼んでもダメ」

 現在、派遣会社を通じて紹介されている仕事は、レンタルされたパソコンやWi-Fiのルーターなどを修理・クリーニングするメンテナンス工場だ。

「時給は1230円。週払いだと、年金とか保険とかいろいろ引かれて、手取りは週3万5000円くらいかな」

 50年も働き続けてきた人が、50年前と同じ生活を余儀なくされている。これについていろいろ疑問はあるが、まずはAさんの明日のメシである。とりあえず年金受給を開始していただくしかない。