学歴が無効化された社会を実現するには?

──採用時や配属時に個々人の持ち味まで明らかにしようとすれば、人事担当者に負担が生じるのではないでしょうか。

勅使川原:日本の多くの企業が、これまでありもしない理想的な人間像を描き、画一的な能力の精査で人材採用をしてきました。

 果たしてそれでうまくいっているのか、今一度考えてみてほしいと思います。いろいろなミスマッチが生じている企業が多いのではないでしょうか。

 働く人の精神疾患の割合も増えています。これは、ありもしない能力や万能さを求め続けた結果だと私は思っています。今の方法を続けている限りは、企業組織や働くことそのものが良くなっていくことはないでしょう。

──持ち味は、どのようにして知り得るのでしょうか。

勅使川原:就職活動や転職活動の際に、SPIやCUBIC適性検査、玉手箱などを受けたことがある人も多いのではないでしょうか。これらの試験は、実は性格行動特性検査の要素も含んでいます。

 こうした検査結果を活用して「エンジン的な役割ができる人」「方向指示器のような人」というように、個々人の発揮しやすい機能や持ち味を知ることは、それほど難しくないでしょう。

「ブレーキ」だからダメ、「アクセル」は花形などと単純化するのではなく、やろうとしていることに対して合目的的かどうかという視点が肝要です。

 たとえば、多くの企業は新規事業部門に、いけいけどんどんのアクセル機能が売りの人を集めがちです。けれども、リスクを計算したり、綿密な計画を立てたり、多少強引な旗振りにもついていってくれるような、ブレーキ機能が売りの人も必要ではないでしょうか。

 個々人の機能を点検して、組織をつくっていくことは、個々人に優劣をつけることに比して、思うほど大変なことではありません。やすやすと人を序列づけてきたことのほうに違和感を持ちたいし、そうしなければ、事業も組織もうまく回ることはないということを認識する必要があると思います。

──今後、そのような改革がうまく進み、学歴が無効化した場合、熱心に勉強する人が減り、日本全体の学力レベルが落ち、ひいては、技術力の低下などにつながる可能性があるのではないかと感じました。

勅使川原: 1999年に当時の小渕政権の諮問機関である経済戦略会議の「日本経済再生への戦略」で同じようなことが語られました。福祉を充実させることにより、モラルハザードに陥り、国力が低下するというものです。

 けれども、競争した結果、この国は良くなったのでしょうか。この30年、40年で圧倒的に勝者と敗者の分断が進んだと言えないでしょうか。

 競争していきいきしているのは、ごく一部の勝者です。まずは、労働が他者との組み合わせでどうにか成り立っている営為なのだという視点に立ち、一元的な「学歴」という指標で人の優劣をつけることをやめるべきです。

「あなたのこういうところが面白い」「ここが素晴らしいよね」「いてくれてよかった」と他者から言ってもらう経験から、人は自身の存在が承認されたと実感できます。

 存在が承認されてはじめて「自分はここにいていいんだ」「この役割なら担えそうだ」「だから一生懸命やってみよう」と思えるはずです。

 今は、能力主義社会の勝者が為政者や企業のトップ層の大部分を占めているため、勝者側の価値観や視座に基づくことが正義とばかりに力を持っています。そのため、「学歴社会からの卒業」という議論が発展していかないのだと思います。

 けれども、多くの人が学歴社会が依拠してきた能力論そのものや、よくわからない望ましさを押し付けられ、勝敗を人生の長きにわたって引きずっていかねばならない仕組みに、いい加減うんざりしているのではないでしょうか。