「親には親の人生、子どもには子どもの人生」
──ある時、主治医の先生から「お母さん、ネットやその他の情報に振り回されないでね。目の前のマコちゃんをよーく見てあげてね」と言われて、目が覚めたと書かれています。
さくら氏:当初私は、この子の将来を少しでも良いものにしたいと必死でした。医学的に治らない疾患だと言われても、何かしら回復に導く方法があるのではないかと考えていました。
そういう疑問や思いを、SNSを通して発信すると、怪しげな民間療法や宗教の誘いなどを含め、いろいろな情報が来るようになります。
様々なことを試していた時期に、福山型先天性筋ジストロフィーのある専門医に出会いました。
当時、私が発していた独特の雰囲気からこちらの精神状態を察したのでしょう。先生は私の目を覗き込んで言いました。「お母さん、ちゃんとマコちゃんの目を見てる?」「この子が何をしたら喜ぶか、この子が何をしたら楽しいか、ちゃんと見ていますか?」と問われました。
「見ていない」と痛感しました。目の前に娘がいるのに、その娘ではなく、未来のことばかり勝手に1人で考えていました。
私の不安をよそに、彼女はとても幸せそうな顔をしていました。写真を見返しても目を輝かせてにこにこしている。なぜ自分だけが煽られるように不安になっていたのか。気づかせてくれた先生にはとても感謝しています。

──「自分の人生を犠牲にする障害児の親」という十字架を背負う生き方をやめてみることをすすめていますね。
さくら氏:長女が生まれてすぐに、ペアレント・トレーニング(養育スキルの訓練)の講座を受けて、インストラクターの資格を取りました。その中で私が大切にしているものに、「親には親の人生、子どもには子どもの人生」という教えがあります。
子どもは自分を通して生まれてきたけれど、自分の所有物ではありません。
次女が生まれたときも、この意識を大事にしていたつもりでしたが、「自分から出てきたから自分のせいではないか」とか、「私が違う生活をしていたらこんな疾患を娘は持たなかったのではないか」という感覚を障害児の親は持ちやすいのです。
これは私だけではなく、ヒアリングすると多くの方に共通しています。特に遺伝子の疾患の場合は、そういう意識になりがちです。
そうした思いが、十字架になってのしかかるのです。自分は恋愛もしたし、仕事もしたし、留学もしたし、たくさん遊んだ。でも、この子はこれから寝たきりになっていく。誰がこの子の面倒を見るのか。自分の人生を諦めるつもりでこの子のためにすべて捧げよう。そのような思考に陥った時期がありました。
でも、冷静になると、「本当にその生き方で幸せ?」と問う自分もいて、やはり幸せだとは思えない。さらに娘の立場に立って、親がそんな生き方をしたら娘はどう思うだろうかと考えてみると、私だったらそんな親は嫌です。
「あなたのために」なんて言われるのはめっちゃ嫌です。娘も自分もそんな私の生き方を望まないのであれば、手放そうと考えました。