
高名なドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェは、『ツァラトゥストラはこう言った』という途方もなく謎めいた著作を残した。物語を通してニーチェが語ったことは、テクノロジーに飲み込まれてゆく現代世界を考えるうえで貴重な示唆を与えてくれる。私たちは、ニーチェとツァラトゥストラの言葉をいかに読み解くことができるのか。『ニーチェ 哲学的生を生きる』(青土社)を上梓した、哲学者で東北大学大学院情報科学研究科教授の森一郎氏に聞いた。(聞き手:長野光、ビデオジャーナリスト)
──「神は死んだ」というニーチェの言葉には、どんな意味が込められているのでしょうか?
森一郎氏(以下、森):ニーチェの最も有名な言葉ですね。高校の教科書にも載っているし、みんな知っているけれど、それがどういう意味なのか深く考えられていないのが普通です。
既成宗教としてのキリスト教の衰退、あるいは宗教全般の退潮を意味しているというのが一般的な理解です。実際、高校の教科書でもそう説明されています。
ニーチェはキリスト教を大々的に批判しましたから、そういう面はたしかにあります。ただ、それだけの意味だとしたら、たいした話ではありません。もっと巨大なテーマにぶつかって、ニーチェは「神は死んだ」と言ったのだと考えられます。
ニーチェはさまざまなことを考えた哲学者ですが、恐らく大きな違和感を持ちながら自分の生きる時代についてしつこく考えた人だと思います。それまでと断然違う、どこかおかしい時代の中に自分は生きている。これはいったい何なのか。そのような問題意識です。
この時代のことを大きく「近代」と捉えたときに、「神は死んだ」という表現がほとばしったのです。とりわけ近代科学という新しい知の動きが出現して、時代は大きく塗り替えられました。そうした流れが、ルネッサンスに続いて始まったと考えると、これはニーチェ誕生の200年以上前から始まっていた変化です。
ニーチェの生きた時代は近代の途上にあり、この時代はいったい何なのかという問い自体、まだはっきりしていませんでした。そこでニーチェが発した答えが、「神は死んだ」なのです。
かつて信じられてきたもの、大事に考えられてきたもの、そのために人間が生きてきた目標のようなものが、総じて意味を失って崩れ落ちた。そこにぽっかり穴が空き、広がっている。だから、それに代わるものを生み出さなければならないが、その穴埋めは容易ではない。そういう時代意識をこの言葉に込めたのだと思います。
ニーチェが死んで100年以上経っていますが、そうした流れの中に依然として私たちも生きています。「神は死んだ」とはいかなることか、それを考え続けなければならない時代が、まさに現代なのだと思います。
──ジブリ映画『もののけ姫』が、このイメージを描いていると話しています。