現代のAIに連なる「超人思想」
──ツァラトゥストラは「人間とは、克服されるべきものなのだ」と言い、ニーチェは超人思想を語った哲学者として有名です。「超人」が意味することについては本書でも言及されていますが、その中に人工知能をその可能性のひとつと位置づける章もありました。
森:「超人」も『ツァラトゥストラはこう言った』の中の有名な言葉です。冒頭「神は死んだ」で始まり、「さあ、ではどうすべきか」という時に、人間は人間を超えた存在、すなわち「超人」を目指すべきなのだと語られます。19世紀的な進化思想と似ていますが、ニーチェ特有の概念でもあります。
前へ前へと、現状以上を求めて進む根本志向が超人思想という形で打ち出されていますが、永遠回帰思想が出てくると、それだけの話ではすまなくなります。
実は、超人思想を当初掲げていたツァラトゥストラは、物語が進むにつれ「超人」と言わなくなります。
第一部では「超人」という目標が繰り返し力説されますが、第二部ではそれほど口にしなくなり、第三部になると、「超人という言葉を私は石ころのように路傍で拾った」と言ってのけ、どこまで本気だったのかも怪しくなります。
でも、超人を否定したわけではありません。神が死んだ大変な時代に、ではどうするかと考えると、それに代わるものを求めないわけにはいきませんから。
それを進歩思想と呼ぶかは別としても、人類は何かより高い、神に代わる目標を求めてきたという流れは、近代以降、現代に至るまでずっと変わらずに続いていると思います。これまでにない人類のまったく新しい知的ステージを切り開く。その大目標のために新しいものが次々に創り出され、とっかえひっかえ更新されていきます。
これがそのまま超人と言えるかどうかは分かりませんが、人間並み以上のものを生み出そうとする志向は絶えずあります。
たとえば、ガリレオの望遠鏡がそうでした。凹凸レンズを組み合わせて像を作って肉眼では見えない宇宙の様子を知り、それによって自分や世界についての認識を改める。人知を超える知が生み出され、人間的なものをまさに超えていくのです。
話が飛躍するようですが、こうした文脈の先に、現代を賑わせている人工知能研究があります。人間の知を超えるものを生み出すプロジェクトに、人類は一生懸命になっている。