ニーチェの「永遠回帰」とはどのような思想か

森:映画のなかにも「神は死んだ」をモチーフにしているものがあります。有名なところでは、スタンリー・キューブリック監督の『2001年宇宙の旅』で、ずばり『ツァラトゥストラはこう言った』をモチーフにした映画です。

 日本でいうと、『もののけ姫』にはそういうモチーフがあると思います。私も、20年以上昔のことですが、子どもと一緒に近所の映画館で見て、面白いと思いました。

 あの映画の中で、まさに神が殺されます。その結果、秩序が大きく変わり、大事にしていたものが失われる。さあどうしよう、という寄る辺なさに皆がおろおろする。混沌の中で、むしろ希望を見出す者もいれば、何かを画策する者もいる。

 これまで連綿と続いてきたものに頼っていたけれども、もはやそうは問屋が卸さなくなった。その渦中を描いています。歴史の転換点ですね。『もののけ姫』はかなり古い時代の設定ですが、あの映画の中でもテクノロジーが進んでいく近代化の波が見られます。

──タタラの集落では、新しい機械や銃などがどんどん作られていますね。

森:そうですね。あの映画は、ニーチェの「神は死んだ」という言葉を、制作者がどこまで意識していたかは分かりませんが、かなり直接的に描いていると思います。

──「永遠回帰思想に襲われたツァラトゥストラは、吐き気をもよおした」「哲学には発展も進歩も新しさも始まりもない。考えることは同じことの繰り返しでしかない」と書かれています。

森:「永遠回帰」は、ニーチェ解釈の中でも非常に難しい思想のひとつです。

 ニーチェは、いわゆる三段論法のような形で、自分の考えを整然と論証してはいません。ある時、インスピレーションのように襲ってきた思想をツァラトゥストラの物語として表現しているのです。

 私の理解では、「近代とは何か」という問いを浮き彫りにする、近代とはまったく別のものの見方が永遠回帰思想です。しかもそれは、ニーチェが新たに発見した思想というより、人類の古い知恵の中に昔からあったものです。

 私たちは、何か新しいものや考え方が出てくると、それに飛びついて旧来のものを投げ捨て、新時代だと喧伝し、少しするとまたすぐ別の新しいものに飛びつきます。でも、それは長い目で俯瞰して眺めると、実は同じことの繰り返しでしかありません。

 人類は同じことを延々とやっているにすぎない。進歩も発展も空しく、本当に新しいものなどない。それが真実だ──という考え方は、古代ギリシャもそうですし、その他でも色々語られてきました。

 この同じことの永遠回帰の思想を、近代という時代の中でどう考えるのか。ここにはあからさまなギャップがあります。近代は「モダン・エイジ」という名の通り、新しさに価値を置いているからです。