試乗した「GT-R Premium edition T-spec」。横浜市内にて(写真:筆者撮影)
日産自動車は2月、現行GT-Rの生産を8月で終了することを明らかにした。そう聞いて、改めてGT-Rの存在意義を考えようと思い、横浜の日産本社で4月中旬、「GT-R Premium edition T-spec」を借りて横浜周辺を走った。搭載するVR38DETTエンジンを製造する日産横浜工場にも訪れ、GT-Rの歴史を振り返る。
(桃田 健史:自動車ジャーナリスト)
あれからもう18年も経った。
GT-R Preminum editon T-specを横浜の市街地で走らせながら、様々な思い出が蘇ってきた。
自動車業界関係者やクルマ好きが「R35(アールサンゴー)」と呼ぶ、車名型式「ニッサン4BA-R35」の現行GT-Rが登場したのは、2007年10月24日。千葉県幕張メッセで開催された第40回東京モーターショーのプレスデーだった。
日産はR35を「21世紀のマルチ・パフォーマンス・スーパーカー」と称した。
さらに時計の針を戻すと、日産はR35を仕上げるまでに様々な方向からGT-Rとしての可能性を探っていた。
その初期段階で、筆者はR35の商品企画と開発の全権を持つ水野和敏氏に、あるところで偶然再会している。
横浜中華街を走ると多くのインバウンド観光客から熱い視線を浴びた(写真:筆者撮影)
それは、米フロリダ州のデイトナ24時間でのことだ。日産のデイトナ24時間といえば、1992年にグループCカーをベースとした最新レーシングカーの「R91CP」で総合優勝している。そのプロジェクトを率いた水野氏が、なんと日本のプライベートチームのメカニックのひとりとしてデイトナの現場にいたのだから、レース関係者であれば誰でも驚くだろう。
「こんなところで、何をやっているんですか?」と聞いたところ、「このクルマで次期GT-Rのサスペンションなどの構想を練っている」というではないか。そのクルマはイタリア製のスーパーカーだったが、サスペンションは水野氏が大幅に改良していた。