フジ関係者Bが語る。

「第三者委員会の報告書で明らかになった中居氏の性暴力問題や幹部らによるハラスメントは世紀の不祥事だが、最初は好機でもあると捉えていた。長く業績が低迷しているものの、優秀な人材はまだいる。ここで組織の悪しき体質を一掃できたら、再び躍進することができると考えていた。

 しかし、今回公にならなかった不祥事もあるし、関係した人物もおとがめなしになっているケースもある。この状況を見ると悪しき体質は引き継がれている。不祥事体質が生まれてから長いので、難しいかも知れない」(フジ関係者B)

 フジの年間の個人視聴率は民放キー局5局の中で、5年連続で4位。視聴率と業績はほぼ連動するから、CM売上高も同じく4位。規模が違うテレビ東京を除くと最下位なのである。他局と視聴率や業績の低迷がそれほど目立たなかったのはフジの広報などがTVerの再生回数など自社に都合の良い数字だけをクローズアップするなど必死に取り繕っていたから。

とんねるずの全盛期と港氏の出世

 フジの不祥事体質とタレントへの接待文化が芽吹いたのは日枝氏が編成局長になった1980年からである。

 その頃、有名制作幹部2人が不倫スキャンダルを起こす。さらに看板音楽番組のプロデューサーが芸能人を接待したとして計3000万円ほどの領収書を一度に処理しようとした。

 領収書は接待費等で落とせるはずがなく、使途不明金で処理されたという。社内ではこの3人を問題視する向きが多かったが、ペナルティはなかった。

「3人が日枝氏のお気に入りだったから」(フジ関係者B)

 当時のフジテレビの最大の実力者は会長の鹿内信隆氏であった。日枝氏を編成局長に抜擢した人物である。その信隆氏は金にも異性問題にも厳格だった。なにしろ、節約のために制作部門を会社本体から切り離したほどだ。

 それなのに、いくら信隆氏のお気に入りとはいえ、なぜ日枝氏は部下の不祥事に寛容だったのか。

「42歳で編成局長に抜擢された日枝氏は早く結果を出したいと考えたのだろう。視聴率が獲れて自分に従順な人間なら、モラルは二の次だったのではないか」(フジ関係者C)

 会社の経費による過剰接待の極めつきは港浩一前社長(72)によるもの。自分が演出した『とんねるずのみなさんのおかげです』(1988~1997年)の放送期間中、とんねるずの2人とその関係者に破格の接待を行っていた。米国ハワイの大名旅行に何度も連れて行き、東京・六本木で頻繁に豪遊させた。

 あのころ、売れっ子のとんねるずの番組がフジに集中していたのもうなずける。日本テレビの元幹部は「ウチはワインのセットを贈るのがせいぜいだった」と苦笑しながら振り返る。日テレは編成幹部たちが過度な接待を許さなかった。