やりすぎて第2次世界大戦の遠因に

 関税の歴史は古く、紀元前には制度が始まっていました。かつては、物品がある地点(関所など)を通過する際に、その地点を管理する者に対して支払わなければならない手数料のような存在だったとされています。

 古代インドでは、紀元前4世紀の政治・経済を帝王学の立場でまとめた書物『実利論』の中に、関税の概要や不払いだった場合の罰則などが登場。メソポタミアと地中海を結ぶ交易路に存在した中東の都市国家・パルミラでは、紀元前135年に「関税法」が公布され、すべての物品や奴隷に関税が課せられました。関税はその後、中世ヨーロッパでも関税は広く採用されていきます。

 近代国家が誕生し「国境」が確立すると、関税は国内の物品移動に課すのではなく、主に国境をまたいで行き来する物品を対象とする「国境関税」としての機能を持つようになりました。そして、国際社会に大きな影響を与える存在となります。その端的なケースが第2次世界大戦にもつながった1930年代の出来事でしょう。

 1929年、世界の主要な国々は世界恐慌に見舞われました。それを脱するために、植民地を持つ国はそれぞれの決済通貨を軸として経済圏(ブロック)を形成。ブロック内では関税を軽減する一方、ブロック外からの輸入には高い関税をかけたり貿易を制限したりし、自国産業を保護する体制をつくりあげました。いわゆる「ブロック経済」です。

 この時期の米国は1930年に「スムート・ホーリー関税法」(1930年関税法)を制定し、3300品目のうち890品目の関税を引き上げました。これにより、米国の輸入関税は平均40%という高率になりました。

 オランダやフランス、英国などは直ちに報復関税を設定しましたが、米国への輸出を閉ざされた欧州の経済危機は深刻さを増し、やがてドイツの銀行制度が崩壊します。各国間の経済戦争は悪化し、やがて経済難を背景としたナチス・ドイツの台頭もあって世界は第2次世界大戦に突入したのです。

 トランプ政権の関税政策がどう展開するか、まだ明確には見通せません。しかし、仮に大きな路線修正がなければ、世界が再び保護貿易に覆われていく懸念はなくならないでしょう。

フロントラインプレス
「誰も知らない世界を 誰もが知る世界に」を掲げる取材記者グループ(代表=高田昌幸・東京都市大学メディア情報学部教授)。2019年に合同会社を設立し、正式に発足。調査報道や手触り感のあるルポを軸に、新しいかたちでニュースを世に送り出す。取材記者や写真家、研究者ら約30人が参加。調査報道については主に「スローニュース」で、ルポや深掘り記事は主に「Yahoo!ニュース オリジナル特集」で発表。その他、東洋経済オンラインなど国内主要メディアでも記事を発表している。