何が「極限まで」の「洗練」なのか? 

 先ほどの記事からちょっと引用してみましょう。

「なぜ、いち名オルガニストに過ぎなかったバッハが『音楽の父』となり、彼の作品がバイブルとなったのでしょうか。それは、バッハがこれまでの伝統的な『対位法』を極限まで洗練させたと同時に、新しい『和声法』も取り入れた、近代西洋音楽の基礎固めに貢献したからです」

 悪くはありません。ただこれでは論理的な説明にはなっていない。

 何が「対位法」で何が「和声法」か、この記事には記載がなく、何が「極限」なのかもさっぱり分からないから、東京藝大の楽理科などでもしこの文章を教授に提出したら合格点はもらえないかもしれない。

 バッハの時代、音楽は何を革新したのか・・・?

 それは「単一の調律で、長短24すべての音律を演奏できるシステム」にあります。

 日本語で平均律と誤訳されて定着していますが、正確には「良い調律」とでも訳すべき、新しい音響システムを活用して、新しいスタイルを作り上げたからバッハが「音楽の父」などと呼ばれたりする。

 1曲の中で1つのテーマが様々な調に変形され展開する「フーガ」などのポリフォニー(多声楽)の様式をほぼ確立したから、ドイツ語で「extrem=極限」などと称賛されたりもした。

 これを小林秀雄や中原中也くらいの世代、旧制高校のバンカラからインテリ君たちが言葉だけ日本語に訳して、その意味を理解しないまま代々生徒に形式的に教授。

 日本舞踊の名取みたいに「型」で覚えて内実が分からないと、こういう形式的な“お経”、ノリトが出来上がるわけです。

 ちなみに「和声学」と称するものも同様で、習ってみると冒頭から「禁則」がいっぱい出てきます。

「なぜ?」と聞いても、それに正しく答えられる教員は現在でも大半の芸大や音大でも稀と思います。

 私のところに優秀な藝高藝大生諸君が長年来てくれるのは、「なぜなし」を一つも言わないからです。

 禁則には合理的な理由があり、それを分かった上でどんどん破ればいい、と教えるので、皆伸びていくわけです(笑)。

 ピアノやオルガンの鍵盤には「ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ」と7つの鍵盤が並んでいます(ピアノなら「白鍵」)。

 またそれとは別に「ド♯=レ♭ レ♯=ミ♭ ファ♯=ソ♭ ソ♯=ラ♭ ラ♯=シ♭」という5つの「黒鍵」も並んでいる。

 7+5=12種類の違う音が並んでいて、右に進めば1オクターブ上の12種類、左に進めば1オクターブ下の、同じくドレミファソラシが並んでいます。

 この12種類の音のどれを「主音」中心の音にして「メジャー(長調)」でも「マイナー(短調)」でも、1台のピアノで、調律を変化させることなく、演奏することができますよね・・・? 

 そういうことは、広く世界の音楽を見回した時、他の文化、他の地域や時代には見られないのです。

 日本の雅楽で「平調越天楽」といったら「平調」ミを主音とする独特の音律で、楽琵琶も箏も和琴(わごん)も調律する。ある調の曲を、違う調に調律した楽器で演奏すると、一般に音は濁ります。

 それが濁らないで聴こえるような工夫が、ガリレオ・ガリレイのお父さん、ヴィンチェンツォ・ガリレイ(1520?-95) や、その師匠ジョゼッフォ・ツァルリーノ(1517-90)の時期に発展して「バロック」(“歪んだ真珠”という意味ですが、その歪み方に定曲率が措定されていたことなど、美術史の小佐野重利さんに伺った高度な内容は別論としましょう)期の音楽が発展した・・・。

 などというのですが・・・?

 ハインリッヒ・シュッツ (1585-1672) をはじめとする初期バロックは、日本で言えば徳川幕府初期、家光くらいの時代に活躍した人。

 ディートリヒ・ブクステフーデ(1637-1707)など中期バロックは、「元禄時代」松尾芭蕉や尾形光琳、あるいは英国のアイザック・ニュートンなどと時代がかぶり、音楽は相当に複雑化します。

 それらを集大成して、長短24すべての調を自由に行き来できるようになれば、それ以上の拡大は・・・ひとまずできそうにないでしょう?

 これを「究極」と言っているわけです。

 J. S. バッハ(1685-1750)、G. F. ヘンデル(1685-1759)など晩期バロックの大家が「音楽の父」「音楽の母」などと呼ばれるのは、学生諸君など若い読者向けに書くなら、「いまギターで普通に弾くすべてのコードが出てくるスタイルの音楽を確立したから」と言うと、分かりやすいかと思います。

 少し前の時代、例えばヴィヴァルディのコンチェルトなどは、1曲の中に登場する「コード」の種類は限られていました。

 一緒に弾くチェンバロの調律上、弾いてもきれいに鳴らないコードは使えないからです。

 ちなみに、調律の必要がないために、ヴァイオリンやチェロの「指板」には、ギターのような「フレット」がついていません。

 耳で聴いて合わせる。それが音感、ソルフェージュというものです。読者の皆さんはご存じでしたでしょうか?

 東京藝大生などでも、理解してない学生は普通にいます。しかし、誰でも理屈が分かるように教授してあげると、若い人はぐんぐん伸びます。

 ではギターはどうしてフレットがついていても大丈夫なの・・・?

 こういう疑問が出てくるかもしれませんね。それは、ギターの弦には金属が巻いてあったり、いろいろ工夫が凝らされていて「スペクトル線」が「線幅」を持つことで「非線形な引き込み」が起きて、濁らないという理由によるんですね。

 このヒントは私の恩師、小林俊一先生にヒントをいただいて、私自分自身で解明したものです。

 小林先生は去る2月16日にご逝去になっていたと、先週突然の訃報を伺いました。小林先生については稿を改めてお話したいと思います。

 バッハ以前の楽曲は、個別の調やその組み合わせに特化した音楽のフレームワークに依っていた。

 これが、バッハ以降、例えばフレデリック・ショパン(1810-49)の「24の前奏曲」はバッハに倣って長短24の調性の短い「プレリュード」が続いていく構成になっています。

 ちなみにショパンとメンデルスゾーンはほぼ同世代で、別にメンデルスゾーンがバッハを再発見したのではありません。

「・・・その後約1世紀の時を経て、メンデルスゾーンがバッハを『発掘』し再評価すると、続く大音楽家たちはバッハの作品をバイブルにしていったのです」とあるのは、よくある間違いですので訂正しておきましょう。

 L. ファン・ベートーヴェンも真剣に検討しているし、お金持ちの坊やだったメンデルスゾーンにバッハ「マタイ受難曲」の復活上演を仕向けたのは、彼の師匠、ゲーテの親友であるフリードリッヒ・ツェルターです。

 バッハの死没直後、まだヘンデルが生きている間に生まれたツェルターが生徒たちに教授したもので、「いったん忘れられたバッハ」という素人受けしそうなストーリーを、これからプロになる学生諸君が信じてはいけません(笑)。